2010年11月30日火曜日

市川剛士

市川と 名の つく 酒呑の 色男で、酒を 呑んで 暴れない 奴は いない。サンプルは 2。いうまでも なく、市川海老蔵と 市川剛士の ふたり。

市川剛士とは、ぼくの 幼馴染にして 唯一無二の 親友だった 男で、酒を あびるように 呑み、若い ころは ほんとうに 酒乱で 大暴れして、いろんな 恩人に しぬほど 迷惑を かけた ことも 多い、本当に 本当に 無茶苦茶な やつ だった。

いわゆる 豪傑 いった 感じの 風貌と 態度だった 彼の 内面は、実際には とても 繊細で 思慮深く、それを 伺い知ることは、たぶん 多くの 人には できなかった かも 知れない。彼は 滅多に 誤解を 解こうとは しなかったし、それは 小学生の ころから そうだったし、大人に なっても それは 変わらなかった。

たくさん 本を 読み、交換し、意見を 戦わせて、時には ひどい 喧嘩も して いっしょに 成長してきた 親友の ぼくと 彼の 女房に なった 彼女に しか 見せてなかったであろう、彼の 繊細な 精神は、彼が 多くを 説明 しなかったの だから、ぼくも わざわざ 誰かに 説明は しなかったけれど、彼を 愛していた 友人の 多くは 分かっていたと 思う。

彼が この世を 去った 時は、ほんとうに どうして いいか 分からない ほど 心が 完全に 折れてしまい、ひさしぶりに 会えていた はずの その 年の 夏の ある 日の 光景を 毎日 なんども なんども 夢想し、ある日、自分は これから どういう 人生を 歩む 必要が あるのか、しっかり 考えないと いけないと 気づき、立ち上がるまでに だいぶ 時間が かかった。

どんなに だいじな 人でも いつかは いなくなる ということを、その時 はじめて 理解 したと 思う。


ぼくの 長男の 名前は 彼の 長男の 名前と 関係が あって、そのことは ぼくと 彼の ふたりを よく 知っている 人だけが 気づくかも 知れない こと なのだが、彼は ぼくの 女房が 長男を 身籠った ことを 知る 前に 逝ったので、彼は ぼくの 長男の 名前を しらない。そのことは、いまだに 残念に 思う。

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