2010年12月5日日曜日

どう羽生


著者から いただいた どうして羽生さんだけが、そんなに強いんですか?―現代将棋と進化の物語 を いっきに よんだ。きたい どおりの すばらしい 内容。将棋ファンは もちろん、そうでない ひとも たのしめると おもう。


将棋ファンいがいの ひとが どのくらい てに とるかは みちすう だけれど、これを よんだ 将棋ファンいがいの ひとが、そのうち「どうして 渡辺は 羽生さんよりも つよいんですか」なんて いうように なったら さいこうだ。


ぼくは ディスコ(当時は そう よんだのだ)で ナンパした カノジョを「将棋 みにいこうぜ。ハブと サトウの さいこうの カード なんだぜ?」と デートに つれていったことも あるくらいの 将棋ファンで、はたち くらいの ときには どうしても さしたくなったら わざわざ どうじょうに いったり していたが、渡米して 身近に させる ひとが いなくなって いらい まったく ささなくなってしまったし、将棋世界も 毎月 かならず かう わけでも なくなったし、実家に かえる たびに NHK の 将棋を いっしょに みていた おやじも もう いない。いまでは もっぱら ネットで 将棋を みているだけの いちファンだ。

だが、将棋を かんせん しているときは、たんに その たいきょくだけを みている わけでは なく、棋士の かいせつも たのしんでいるし、その かいせつぶり そのものをも たのしんでいる。棋士の かいせつは、その かたりくち から 人柄が みえて じつに 興味ぶかい。そういう きかいが あると、たとえば 先崎や 山崎を はっけんして ファンに なったりして、さらに、ほかにも もっと おもしろい 棋士が いると しり、将棋 全体の ファンに なっていく。梅田望夫の いうように、将棋ファンの ほとんどは 全体の ファンだと おもう。


ぼくが こどもの ころは、おおくの こどもが 将棋を あそびとして さしていたが、将棋ファンに なった ひとは それほど おおくないと おもう。同級生で 将棋の はなしが できる ゆうじんは、ぼくには ひとりしか いない。でも、30ねんまえは 全員 将棋を さしていたし、いまでも みんな させる。もしかしたら いま 竜王戦が やってることは しってる かも しれないが、たぶん だれも 広瀬が タイトルを とったことを しらないだろう。そんなもんだ。

将棋ファンに なるには、将棋 そのものに 熱中して、ほんを よんだり、きふを ならべたりして まず だれかの ファンに なるのが おおくの パターンだと おもう。ぼくの 世代(ちなみに 羽生世代)は 羽生も そう いっているように なんと いっても 谷川が ヒーロー だったし、谷川を かわきりに、中原や 米長の ファンに なっていった ひとも おおい だろう。

ぼくは、たまたま おやじが 米長と ふんいんきが にていると いわれたり、おやじも 将棋が つよくて 毎週 NHK の 将棋を みてからでないと でかけない ひと だったので しかたなく つきあって テレビを みていたりと、将棋を 身近な ものとして そだったことも あり、自然と 将棋ファンに なった。


将棋ファンでない ひとたちは、いきなり NHK や BS で 将棋を みても は たぶん ほとんど なにも たのしめないと おもう。でも、ほん なら じぶんの ペースで よめるし、とくに みりょくてきな 棋士の 逸話が つまった「どう羽生」は、おおくの ひとが たのしめると おもう。

この ほん での 梅田望夫の 仕事は、たとえば サイエンスライター が なるべく すうしきを つかわずに サイエンスワンダーを つたえるように、なるべく 棋譜に たよらずに いっきょくの 魅力を つたえることだろう。棋譜(すうしき)を みると しりごみ してしまう ひとは、すべての 観戦記を 省略して 対話編だけ よんでも いいと おもう。(ただ、梅田望夫の 観戦記は、どれも かなり 棋譜の すくない あたらしい タイプの 観戦記なので、あとで がんばって よんでみると いい)

梅田望夫には、いつか、棋譜が ほとんど でてこない、たぶん 将棋ファンには ちょっと ものたりない くらいの ほんも ぜひ かいてみて もらいたい。