2006年8月29日火曜日

Sturgis 2006 (その0)


八年前に初めてスタージスに行ったとき、そこに各地から集った友人たちと、またいつかここに来れたらいいね… なんて話していた。

Sturgis Rally。ハーレー乗りなら誰しも一度は行ってみたいと思うであろう、世界最大のハーレーイベント。人口、たった六千人程度のサウスダコタの田舎町 Sturgis に、五十万台以上ものハーレーが集まる狂気の一週間。

毎年かならず行くという人たちもたくさんいるが、毎年来てたらきっと飽きるだろうから、四年に一回くらいでいいかと半ば冗談で言っていたら、八年前の四年後、つまり四年前にも行ってしまっていた。

そして、その時、四年に一度、ワールドカップの年にはスタージスに行く、ということに決めた。決めたと言っても、別に何をどう決めたというわけでもないのだけれど、まあ、四年に一回くらいは贅沢にバイクで旅ができるように、日々、頑張ろうと思うことにした。

ベイエリアから Sturgis までは往復で 3,500マイル (5,600km) くらいなので、行って帰って来るだけなら一週間でも無理すれば何とかなるけれど、それでは面白くない。どうせなら、アメリカの大自然や Scenic Byways もついでに楽しみたい。そうなるとやはり少なくとも二週間は欲しい。二週間もまるっと仕事を休んでバイクで旅をするというのは、贅沢といえば贅沢なことだと思う。

とはいえ、そもそもおれは遊ぶためにこそ生きているのだし、ときどきはこうやって思い切って遊ぶことができないのだとしたら、何のために生きているのかが分からなくなる。もちろん、その時々の都合でそうも言ってられないこともあるかも知れないけれど、四年に一回くらいは、自由に遊ぶ都合を他の全てに優先できなくて、なにが「遊ぶための人生」かという思いもある。

もちろん、社会と関わりを持ちながら生きている、もしくは生かされている以上、死ぬまでは完全には自由になれないのだろうけれど、四年のうちのたったの二週間すらも自由気ままにすることが許されないのだとしたら、そんな不自由な人生は辛すぎる。せっかく運良く自由な国に生まれたというのに。

ま、そういうわけで、今年はワールドカップの年であり、四年ぶりのスタージスへの旅の年ということだ。

さて、二週間ほどの旅を一人で寂しく行う気はまったくなかったので、一緒に行ける遊び人を探す必要があったわけだが、八年前にスタージスで集ったメンツのうちの二人、チーフとヨネが行くというので、今回も行けることと相成った。

そして、半年ほど前から、メールやメッセンジャーなどで何度も連絡を取りながら計画を練りに練り、とうとう出発前日、八月四日(金)がやってきた。

チーフをサンフランシスコ国際空港に迎えに行き、六年ぶりくらいの再会。LA から来る予定のヨネは、バイクをピックアップする EagleRider San Jose で落ち合う約束。

まずは、チーフと一緒にウォルマートなどで下着類を物色。靴下などはブーツで汚れまくるだけなので、安いのを買って持って行って、適当に捨ててくるのが簡単でいい。そのほか、こまごまとしたものの買出しを済ませる。

一通り必要なことを済ませ、家に戻ってメールをチェックすると、ヨネからメールが。出発を知らせるメールかと思いきや、嫁が風邪を引いてしまい、出られるかどうか不明という。むむむ。

実はこの日までに、ヨネ家の事情などで計画が軽く二転三転としてきた経緯があったのだが、当日になってまだ変更が発生するとは思っていなかった。本当はあまり気乗りしてないのだろうか?まさか、ドタキャンなんてことがあるとは思ってなかったけれど… 風邪ならば、その風邪の具合にもよるんだろう。熱でもあるなら、どうしようもないだろうし。熱のある嫁を置き去りに二週間も旅をするバカ夫もありえないし。

どういう話になるのかと気を揉んでいたらヨネから電話が入る。とりあえず、明日の出発がどうなるかは分からないけれど、まずはうちに向かっているという。熱のある嫁は車で寝かせた状態で I-5 を北上中らしい。行く気はあるらしい。まだ予断を許さないが、出発はしたらしい。望みを捨ててないのは、こっちにとっては朗報だ。

予定ではバイク屋で落ち合う予定だったが、予定よりも早い時間にこちらに着けそうなこと、バイク屋から女房に車を運転させるのは無理そうなことなどから、まず、直接、うちに来ることになった。風邪を引いているので、うちに泊まる予定は中止して、近くのモーテルに泊まることにして、そこにチェックインしてからうちに合流し、おれがチーフとヨネをバイク屋に連れて行くという寸法だ。間に合う時間にうちに来てくれれば問題ない。

果たして、ぎりぎりの時間にヨネはうちに到着した。予定よりも 15分くらい遅れているけれど誤差の範囲だろう。しかし、この 15分がとんでもなく大きな話になるとは、この時は知る由もない。

二人を連れてサンノゼのバイク屋に着くと、ちょうど自分たちよりも 5分くらい先に来たと思われる一人のバイク乗りが、週末だけの予定でバイクを借りる手続きをしていた。偶然にも日本人だった。聞けば、出張でベイエリアに来たので、週末にオレゴン辺りまで走ってみようと思ってバイクを借りに来たらしい。

手続きが進み、彼はエレクトラグライド・クラシックを借りていった。偶然にもチーフとヨネが借りるのと一緒のバイクだ。

次はチーフとヨネの手続きの番だ。何も問題なく話は進む。

と思いきや、店内にはエレクトラグライド・クラシックは一台しかない。先に手続きした チーフは問題ないが、ヨネのバイクがない。ヨネの契約書には「エレクトラグライド」としか書かれておらず、クラシックとは明記されていないため、店の店員もまったく悪びれる様子はない。店内のバイク、どれでもいいよと言われても、二人分の荷物を載せて二ケツで二週間も旅をするのに、ただのエレクトラグライドは厳しすぎる。全泊モーテルならいざ知らず、キャンプもする予定なのだ。クラシック以外はありえない。

実は、こんなことが起きては困ると、予めヨネは「クラシック」と明記するように注文していたのだが、どういうわけか受け入れてもらえず、99% 大丈夫だという口約束をしぶしぶ受け入れることを余儀なくされたという経緯があった。そして、マーフィーの法則のとおり、今回の事件が起きてしまった。

ヨネは契約元に電話して猛烈に抗議。他の店などにクラシックがあるかどうか調べさせたり、いろいろと交渉して頑張ってみる。が、残念ながら、クラシックはどこにもない。さっきの日本人が目の前で借りていったバイク、あれが本当はヨネのバイクだったのだ。あと 5分早く店に到着できていたら、こんなことにはならなかったに違いない。店員は、エレクトラグライドはまだ他にもあったので、どれでもいいと思ってあのバイクを彼に貸したのだろうが…

さて、どうするか。

ヨネは、クラシックが借りられないなら、バイクは借りないと言う。そして、あの日本人が返しに来たら、それを借りて出発するという。月曜日になるかも知れないが、仕方ない。無理に違うのを借りて、二週間も苦労するよりも、実はそれが最善かも知れない。

そもそも、嫁は今、熱を出して寝ているのだし、明日(土曜日)の出発はどう考えても無理がある。それならば、もう一日ゆっくりと休んで、週明けから出発というのも悪くない。

まあ、よく考えれば、そもそも嫁が熱を出してなければサンノゼで落ち合うことができたはずで、そうだったならばずっと早くにこの店に到着できていたはずで、あの日本人に先を越されてしまうようなことはなかった。ということは、嫁に風邪をうつしたヨネが悪いといえば悪いのだが、逆に、ゆっくり休養できる理由ができてよかったと考えればいい。どうせ今日、クラシックが借りられていたとしても、明日には出発はできなかっただろうから、乗らないバイクを借りてレンタル代を払うよりも良かったと考えればいい。早く良くなったら、サンフランシスコにでもゆっくりと遊びに行けばいいだろう。

それにしても、出発前からこんな波乱が起きるとは思いもしなかった。やはり、ちゃんとクラシックまで指定できる HOG の Fry& Ride じゃないとダメということかも知れない。3月に電話した時にはすでに予約が一杯と言われてしまったので、次回は 1月中に予約を入れるくらい先手でいかないといけない。

とにかく、三台で出発の予定は完全に狂ってしまったが、どこかで落ち合うということにして、なんとかしよう。一人で走るのはそれなりに不安もあるだろうが、女房も一緒なのだから寂しくはないだろう。

というわけで、明日はチーフと二人だけで出発だ。ヨネとヨネの嫁とは、コロラドかネブラスカあたりで合流しよう。間に合わないようならスタージスで合流というのでもいい。

そういえば、チーフと二人だけで走るのは、日本で最後のキャンプをした 97年の夏以来か。FX系ショベル乗りの二人が、いつかこうしてファットヘッドのツアラーで一緒に走ることになるとはなあ。

(Sturgis 2006 その1 に続く)

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