2006年9月6日水曜日

Sturgis 2006 (その5)

(Sturgis 2006 その4 からの続き)

旅の五日目、八月九日。水曜日。

七時半、起床。

やはり、ベッドは寝心地がいい。テントの設営もなければ片付けもない。やはりモーテルは最高だ。発明したモーテル氏に感謝。

カーテンを開けて外を見ると、空は真っ白でちょっと暗い。ウェザーチャンネルで天気を確認すると、辺り一帯が "Scattered Thunderstorm" らしい。日本語でなんていうのかは知らないが、「ところにより雷雨」って意味。つまり、やられたらやられるし、やられなければやられない、と。うーむ。あんまり役に立たない予報だが、とにかくカッパを着てけってことか。

空気を感じるために外に出てみると、太陽が出ていないのでけっこう寒い。最初からカッパを着ていくことに決定。カッパは防寒にも有用なのだ。Tシャツに革ジャンとカッパで、十分すぎるほど暖かい。

昨晩、洗って干しておいたパンツをたたんでドライバッグにしまう。荷物をバイクに積み、やおら出発。八時。

町を出る前にとりあえず朝飯でも食べようかと思ってスタンドを探すが見当たらない。たぶん、この町にある全てのスタンドは反対方向にあるのだろう。朝飯のためにわざわざ戻るのも面倒だし、起きたばかりでそんなにおなかが空いてるわけでもないし、このまま先に進むことにする。

US-160 を北上。

いったん走り始めると、徐々に気分が盛り上がってくる。ラジオをつけ、スピーカーからカントリーが流れ出すと、テンションはさらに上がっていく。ふだんは滅多に聴かないカントリーだけれど、アメリカの田舎道にはよく合う。

九時過ぎ、South Fork に到着。ここで朝飯を食べようかとも思ったのだけれど、ガスはまだあるし、もうちょっと走りたい感じ。そのまま先へと進む。

Del Norte を無言でやり過ごし、九時四十五分、Monte Vista に到着。うーん、ガスはまだあるし、もうちょっと走ろう。

「ねえ、左前方に見えるあの砂場みたいなのって、Great Sand Dunes 国立公園かな?」「でも、まだけっこう距離はあるよ。50キロくらい。」「だよねえ。たぶん、違うよねえ。」

いくら大きくても、50キロも離れている砂丘が見えるはずがない。きっと関係ない。では、あの 砂山みたいに見えるものは何なのだろうか。さっきから、ずっと左手前方に見えていて、近づいているはずだけれど、大きさがまったく変わらない。

十時、Alamosa でガスの補給。やはり、二時間くらい走ると走った気になる。気分がいい。いい加減おなかも空いてきたし、ついでに朝食にする。ホットドッグにサンドイッチにコーヒー。

地図で確認すると、目的の砂丘までは 30キロくらい。ふーむ。やっぱり、さっきから見えていたあの砂場みたいなやつが、それなんだろうか…

十一時、遅い朝食を終えて出発。

先に進めば進むほど、さっきまで左手前方にあった砂場が左の方に移動していく。うーむ。あれだ、間違いない。方角的に、それしかない。それにしても 50キロも先から見えていた砂場が目的の砂丘だったとは…

十一時半、分岐点に到着。あの砂場が真左に見える。もうどうみても砂場じゃない。砂山だ。CO-150 を左折。

前方の砂山は走れば走るほど大きくなっていく。しかし、どこまで大きくなっていくのかまるで際限がないように見える。際限なく大きくなっていくので、近づいている実感もあまり湧かない。

十一時四十分、Great Sand Dunes National Park に到着。

Great Sand Dunes National Park, Colorado

一時間も前から見えていたあの砂場は、どんどん成長し、とうとう鳥取砂丘の十倍の大きさとなって目の前に現れた。な、なんだ、これは。

ビジターセンターをぶらぶらして、外のテラスで巨大な砂丘をぼんやりと眺める。

備え付けの双眼鏡を覗いてみると、砂丘を登っている人が確認できた。肉眼で直接みてみると、ただの点。とても人には見えない。言われなければ気がつかないほど小さい。

つまり、目の前の砂丘の山が巨大すぎて実感できないだけで、その砂丘はいまだ凄く遠くにあるということになる。うーむ。

歩いていくのは遠すぎるっぽいので、バイクで一番近くまでいけるポイントをレンジャーに訊く。

ビジターセンターを後にし、奥の方に走っていく。レンジャーに教えてもらったポイントに到着。砂丘のすぐ傍までいけた。

やわらかい砂の上をブーツで歩くのは疲れるけれど、がんばって歩いてみることにした。せっかくなので、少しくらい登ってみようかと思ったのだ。

だが、歩いても歩いても目の前の斜面にはたどり着けない。振り返ってみると粒のように小さくなったチーフが見え、どのくらい歩いてきたかがなんとなく分かる。チーフは風邪っぽいのか、着いて来ようとしない。おれだけ登って、あとで自慢してやろう。

さらに歩く。そしてさらに歩く。黙って歩き続ける。

が、やはり、斜面にはたどり着かない。 こんなに歩いても、まだぜんぜん足りないということか。ここまで来て引き返したのでは、一歩も歩かなかったに等しい。ついてこなかったチーフが勝ったも同然だ。引き返すわけにはいかない。

とはいえ、冷静に計算して見ると、どうやら斜面まで行って戻ってくるだけで、とても三十分じゃきかなそうな勢いだ。砂山の頂上まで登ってる人たちが双眼鏡で確認できるが、きっと半日くらいはかかると思われる。うーむ。悔しいが、素直に諦めて引き返すことにするか。

結局、目の前の砂山が、どのくらい大きいのかあまり実感できなかった。ただ、実感することが難しいほど大きいということだけは分かった。いつか頂上まで登ってみたい。

さて、課題を残しつつも砂丘を堪能したところで次に向かおう。

一時、CO-150 を少し戻り、CO-17 の方向に抜ける。

地図で見ていて分かっていたことだが、この CO-17 は本当に定規のようにまっすぐで笑った。道がまっすぐなだけでなく、まっ平らなので、ほんとうにずっと先までよく見える。

かなり遠くと思しき鉄塔が見えたので、そこまでどのくらいあるのか試しに計ってみたら、15km くらいあった。そんな先までまっ平らでまっすぐな道。幅が足りるかどうかは分からないけれど、こんな道なら飛行機の緊急着陸も離陸も、楽勝だろう。

一時十分、完全にまっすぐな道を走りきり、CO-17 にぶつかる。右折して、北上。

一時半、US-285 に合流。そのまま北上。ガスが持つ限り先に進む。

二時半、Buena Vista の分岐点に到着。ガスの補給。ここから US-24 で北上するルートと US-285 で北上するルートの二つがある。どっちにするか相談。が、その前に、昼飯。時間は遅いが体はカリフォルニア時間の一時半なので、遅すぎということ感じはまったくない。

スタンドのジャンクフードにもそろそろ飽きてきたので、となりのハンバーガー屋に入ってみる。店の中に入ると、いかにも田舎のレストランといった風情。壁には銃や鹿の頭が汚く飾ってある。メニューを見ると、店の名前は Gunsmoke と書いてある。笑う。

アボカドとか入ってるハンバーガーが食べたかったけれど、そんな贅沢なものは当然ない。こういう場合は店の名前がついてるものを頼むことにしてるので Gunsmoke Burger とアイスティを昼飯にする。ただのハンバーガー。だけど、かなりウマイ。たぶん、もう何が来てもウマイと思うようになってる。そう思えないとしたら、きっと旅が辛すぎるってことなんだろうと思う。

それにしても、こんな田舎でも甘くないアイスティが当たり前のように飲めるなんて、いい時代になったものだ。以前は、甘いかどうか必ず訊いてからじゃないとアイスティは頼めなかったのに。

地図を見ながらこれからのルートを相談する。

インターステートを使わずにロッキーマウンテンまで行くには US-24 ではなく US-285 を北上するしかない。決定。次善の策があるならば、インターステートは使わないというのが定石。

その先は、Fairplay から CO-9 を使って Kremmling まで抜けるか、Grant まで US-285 で抜けて、Georgetown 経由で US-40 に抜けるか、二つにひとつ。

後者の方が距離がだいぶ短い上、Scenic Byways の距離が長い。決定。ここで重大な見落としがあったのだが、後日、見落としていたことをヨネに指摘されるまで気づかなかった。

さて、ルートが決まれば、あとは行くだけだ。三時半、Buena Vista を出発。US-285 を北上。

四時、Fairplay を抜け、さらに北上。60MPH (96km/h) くらいで山道を華麗に抜けていく。コロラドの山道は、気持ちいい。

四時半、Grant に到着、ここから Geneva Road に乗り換え。最近、工事されたばかりで路面の綺麗な林道だ。いい感じ。

と思ったのもつかの間、二分も走ったところでその綺麗な道はダート(砂利道)に変身する。

むむぅ。できればダートは走りたくないけれど、仕方ない。どうせすぐに終わるだろう、ちょっとの辛抱だ。

道路の右手に Georgetown まで 24マイル (38.6km) という看板が見えた。ふむ。まあ、そんなもんだろう。24マイルなら三十分はかからない。

甘かった。なんと、そこから Georgetown までの道のりは、全てダートだった。想定もしてなかったが、40km ちかくも砂利道を走るはめになったのだ。三十分どころか一時間もかかったのだった。

それにしても、このダートはけっこう深い砂利もあってなかなか怖かった。ヨネたちがいなくて良かった。二人乗りはちょっと厳しい。まあ、もし二人が一緒にいたら、すぐに引き返していただろうけれど。

五時、峠の頂上付近で工事があり、片側交互通行をやっていて停められる。GPS を確認すると標高は 11500フィート (3505m)、すぐ向こうには 14000フィート (4267m) を越える山がそびえている。寒いはずだ。上下のカッパは泥だらけになっているけれど、着てなかったら凍え死んでいる。

ちなみに、道自体は全編ダートでけっこう厳しかったが、そのコースと風景は素晴らしかった。工事が完了し、全てが舗装された暁には、かならず scenic byway と定義されるはずだ。いつか、舗装された後に、もう一度走ってみたいと思う。

工事で足止めを食らっている間、とくにすることもないので STOP の看板を持つおばちゃんに、訊いてみる。

「今日、何台ここをバイクが通った?」

「数台かな」

「ええっ、数台も通ったの?」

「あ、うん、多くはなかったけど、何台か通ったよ」

アメリカ人はバカすぎる。 こんなダートを何を好き好んで走ったのだろうか。まあ、おれたちとまったく同じ理由なんだろうけれど…

ほどなく先導車が反対側から登場。STOP のサインが SLOW に変わり、引き返していく先導車についていく。

1マイル (1.6km) ほど徐行しながら走らされて、やっとの思いで反対側に到着。当然ながら、そこには待っている車が十台くらい並んでいたのだが、よく見ると、その中にバイクも一台あった。バカだ。手を上げて挨拶する。

するとそいつだけではなく、もう一人、後ろにいる人が手をあげて挨拶した。ん?そいつの後ろには奥さんと思しき女性が座っていた。うーわ。超バカだ。この先 10マイル以上もダートを走らないといけないのに、二人乗りって、何を考えてるんだ。バカすぎるにもほどがあるだろ。

五時半、盆地にひっそりと佇む町、Gerogetown が見えた。コロラドらしい風景。

Georgetown, Colorado

少し休憩し、Georgetown を抜け、US-40 方面に向かう。が、道をよく確かめずに走っていたら、インターステートに乗らされてしまった。うーむ。どれだけ避けても、結局、乗らされるのかよ…

I-70 を 4マイル (6.4km) 走り、US-40 に乗り換え。六時。

ロッキーマウンテンまで行ってしまっては泊まるところが見つからなくなってしまうので、ここから Granby までにある小さな町のどこかでモーテルを探すことにする。

US-40 を北上すると、道はどんどん険しく峠道になっていく。あたりはスキー場が多く、見当たるのは本気っぽいロッジばかりで、ダメ系のモーテルがなかなか見つからない。

彼女と二人で来ているのならいざ知らず、四十男のチーフと二人でおしゃれなロッジに泊まって一泊 200ドルとか言われたら目も当てられない。とにかく先に進む。

六時半、Winter Park に到着。ちょっとした町。スキー客とロッキーマウンテンに行く人たちが便利に使える町と言った感じ。町の真ん中を南北に突っ切る US-40 の両側に、ホテルやレストランやスキー用品店やお土産屋などがひしめく。

さくっとモーテルを見つけてチェックイン。Best Value Inn Sundowner $71.43。高いけれど、ここが高いのはまあ仕方ない。

荷物を降ろし、ブーツを脱ぎ、ベッドに寝転がり、思い切りくつろぐ。あー、疲れたー。

バイクは乗っている間も楽しいが、一日走り終えた後の開放感もたまらない。やはり、バイクを運転するのは神経も体力もそうとうに消耗するのだ。

三十分ほどのんびりしたら、サンダルをはいて、さっそく町に散策にでる。晩飯を探しに行こう。

町を端から端まで歩き、だいたい何があるかは分かった。要するに、大したものはない。

うーん、何を食べようか。チーフは何でもいいというが、イタリアンレストランに入って、よく分からないパスタに 20ドルとか払うのはヨシとはしないだろう。どうしようかな。

だんだんおなかが空いてきて、面倒になってくる。日も落ち、あたりは徐々に薄暗くなり始めている。こうなってくると、もう何でもよくなる。てきとうに買って帰ってモーテルで食べることにしようか。

うーん、だったら、チャイニーズのテイクアウトの方がまだいい。何百倍もいい。

町の中心部に見つけた New Hong Kong という名の中華料理屋に向かうことにする。昨日も中華だったけど、まあ、いい。中国人は毎日中華を食ってるんだ。こんな田舎で贅沢を言っちゃいけない。

道すがら、チーフは、あの店はテイクアウトってできるのかなあとちょっと心配する。が、アメリカのレストランは、超高級レストランでない限りほとんどどんなレストランでもテイクアウトできるのがいいところ。中華でテイクアウトできない店はアメリカには一件もない。借りにあったとしても、マンハッタンに一件だけだ。知らないけれど、勢いとしてはそんな感じだ。

何が食べたいかチーフに訊くと、何でもいいと言う。まあ、そうだろうと思う。はっきり言って、おれも何でもいい。

考えるのも面倒くさいので、Shrimp with Black Bean Sauce とチャーハン。在米日本人なら誰でも知ってるであろう定番メニュー。全米の全ての中華料理屋で食べられる。メニューにあろうがなかろうが。

せっかくなのでビールも買っていくことにする。チーフは風邪薬を飲むからいらないという。ふーむ。ひとりだけ飲むのは申し訳ないけれど、飲まないのも自分に申し訳ないので、ひとりで飲むことにする。

チンタオ。するとその場で栓を抜いてくれようとするので、テイクアウトするから栓は抜かないようにお願い。「申し訳ないんですが、ここで飲んでもらえないと売れないんです。」なるほど、そうなのかも知れない。

仕方ないので、カウンターに座って一本だけ飲んでいくことにする。気を効かした店員がチーフに水を持ってくる。

ほどなく、注文の飯ができ上がり、ビールを飲み干し、モーテルに戻る。帰り道のスタンドでビールを追加。

飯を食いながら、とりとめなく駄弁る。毎日朝から晩まで一緒に行動していて、話すことはもう特にないはずなのだが、何故か話は尽きない。

ベッドに寝そべり、見てもいないテレビをぼんやりと眺め、今日の一日を振り返る。

今日は、朝から晩まで一日中カッパを着て走ったけれど、結局、雨は一滴も降らなかったなあ。明日の天気をウェザーチャンネルで確認してみると、明日の天気は "Scattered Thunderstorm" らしい。明日もか。

明日も運良く降らないといいんだけれど、どうなるかなあ。

  • 総合走行距離: 1896.15 マイル (3051.55 km)
  • 今日の走行距離: 355.56 マイル (572.21 km)
  • 最高速度: 89.5 マイル/時 (144.0 km/h)
  • 移動時間: 6時間43分
  • 移動平均速度: 52.9 マイル/時 (85.1 km/h)
  • 最低最高高度: 6886〜11518 フィート (2099〜3511 m)
  • $3.239 x 3.265G = $10.58 — 10:05:54 LOAF N JUG — Alamosa, CO
  • $3.399 x 3.396G = $11.54 — 14:26:00 GUNSMOKE TRUCKSTOP — 12916 Hwy 285, Buena vista, CO


(Sturgis 2006 その6 へ続く)

2006年9月5日火曜日

Sturgis 2006 (その4)

(Sturgis 2006 その3 からの続き)

旅の四日目、八月八日。火曜日。

七時過ぎ、目が覚める。目が覚めて、初めて自分が寝ていたことに気づく。昨夜は、雨は降らなかったけれど代わりに砂が降りつけるという物凄い嵐で、なかなか寝付けなかったのだった。

寝たりた感じがしなかったので、そのまま二度寝することにする。

一時間後の八時、今度は気分よく目が覚める。

外の様子を確認しようと起き上がって見たらと、足元においてあったドライバッグが砂まみれになっているのを発見。なんだこれは。テント内においてあったドライバッグがこのありさまとは。

どんな豪雨でも、洪水にならない限りはまったく問題のないおれのテントだけれど、フライの隙間から砂が上まで舞ってメッシュをすり抜けてきたようだ。メッシュ部分がだいぶ少ないチーフのテントは、おれよりもかなり軽症だったようだが、それでも砂が入ってきたらしい。メッシュ部分を完全に締め切れるタイプじゃないとモニュメントバレーでは通用しないようだ。

テントの中にあったのに砂まみれのドライバッグ in Monument Valley
テントを洗い、ドライバッグを洗い、顔を洗う。とくに食べるものもないので、「反対側」に向かうことにする。

五分後、「反対側」Goulding に到着。スーパーでマフィンとコーヒーを買い、朝食とする。九時。

懐かしいなあ。

三年前の夏、日本から来た親友二人と Goulding のホテルに泊まった日の翌朝、同じく日本から新婚旅行で訪れていたという男に声をかけられた。

さっさと朝の準備を終わらせて出発したかったおれは、その日本人と親友二人がおしゃべりしているのを尻目に、もくもくと自分の作業を続けた。バイクで旅をしている日本人を見つけて暇つぶしに声をかけてきたのだろうが、相手にしている暇はない。

さて、おれは準備完了だぞ。おまえら、ただでさえ準備がおれよりも遅いくせに、いつまでもくっちゃべってたら出発できないぞ。

そう思って顔を上げたら、つれの一人が言った。「この人もハーレー乗りなんだってさ」

ふーん。それで興味を持って早朝からわざわざ声をかけに来たってわけか。なんにせよ、とりあえず挨拶だけはしておこうと思って近づく。その男の顔を見て、頭の中が真っ白になる。

え゛… こ、この人、誰だっけ?っていうか、誰だっけってってどういうことだろ。おれ、この人、知ってるってことだよな。え???まじで???

相手の男も、おれの顔を凝視しながらクチをパクパクさせている。お互いにお互いを認識しているのに、想定外にもほどがありすぎて、ちゃんと認識できない。

その男はヨネだった。

九八年にスタージスで別れて以来の偶然の再会。ありえない。夜の九時から朝の七時までという短い滞在時間で、知り合いに偶然会うなんて、ありえない。しかも、相手は在米じゃない。日本から新婚旅行でたまたま来ていただけなのだ。

あの奇跡の再会から三年。

しかし、ヨネと一緒にアメリカを旅することになるなんてなあ…

ほんと、人生にはどういうドラマが待ってるのか、さっぱり分からないから面白い。

十時前、出発。US-163 を北上。モニュメントバレーを後にする

US-163: Monument Valley, Navajo

十時四十分、Bluff にてガスの補給。田舎ではありがちな、カードリーダーの付いてないタイプのポンプ。レジまで行かないといけない。面倒くさい。

が、とりあえず、レバーを上げてみる。動いた。ガスを入れてみる。入った。

カリフォルニアのような都会では、まずお目にかかれないだろうが、こういう田舎ではよくある。セルフサービスなんだけれど、料金はレジで「後払い」という暢気なシステム。システムの盲点を悪用するような人間は、仮にいたとしても滅多にいない。人は信用できる。田舎はいい。

いきなり入れることができる田舎のポンプ in Bluff, Utah

十一時四十分、コロラド州との州境に到達。CO-41 を南下し、US-160 に合流。さらに南下して、正午前にニューメキシコ州に突入。

正午、ニューメキシコ州とコロラド州とユタ州とアリゾナ州の州境に到着。

Four Corners, AZ-UT-CO-NM

四年前に来た時は、気に入った Tシャツの自分サイズが売り切れだったので、女房に買って行った。今日は、あの Tシャツの自分サイズを買って借りを返したい。

まわりの出店をチーフと二人でのんびりと歩く。インディアンジュエリー系は、とくに女房にプレゼントしたいと思うようなものがもうないので、最初からその手のものは興味なし。と思いきや、リース付きのいかにもインディアン風の可愛いヘアピンを発見。そうか、娘に買ってやらなくては。

どうせだからターコイスの付いてるやつを探すが、なかなか見当たらない。仕方ないので、ターコイスじゃないけれどそれっぽいのをひとつ選んで買うことにする。まわりの出店を全部見てから、外れにあった最後の一件を覗いてみたら、そこにはターコイスのリースのヘアピンがあった。悔しすぎる。

ちなみに、後日、この話を女房にしたら、「だったら二つ買えばよかったのに」と一撃で顎が砕け散った。考え方が違うと、到達できる地平はかくも違うのか。

結局、おれの Tシャツも買えなかったので、借りが増えただけになってしまった。さすがに、もう来ないと思うけれど、きっとそのうちまた来るんだろうと思う。

一時前、出発。US-160 を北上。

一時半、Cortez に到着。おなかも空いたし、暑いし、昼飯を食うことにする。最初に目に入った TacoBell に入る。久しぶり。

チーフがビーフにしたのでおれはチキンを頼む。ひとつずつ交換。ウマイ。とくに好きじゃないので滅多にメキシカンは食べないけれど、真夏のバイクの旅には欠かせない。

地図を見ながらタコスを食べていたら、前の席に座っている子供がずっとこちらを見ていることに気づく。田舎ではよくある光景。生のアジア人を見るのは珍しいのだろう。そんなにジロジロ見るなと親が言っても、子供は正直。目が離せない。

涼しい店内から外に出るのは勇気がいるけれど、いつまでもこうしているわけには行かない。意を決して出発。二時十五分。

二時半、 Mesa Verde 国立公園に到着。

Mesa Verde National Park, Colorado

Mesa を登っていく途中で雲行きが怪しくなり始めたので、カッパを着ることにする。山の一部で降っているだけだろうし、降ってもすぐに止むだろう。きっと上だけで十分だ。

だが、この後、三時間ほどこの公園内で観光することになるのだが、その間、一度も雨が止むことはなかった。なかなか止まないなあと思ったときには、ジーンズはびしょぬれ。いまさらカッパを着ても仕方ない状態。こんなに雨が降り続くなら、下もはけばよかった。

公園内では、車の人たちは突然の雨に傘の用意がなかったのか、みな、社内にとどまったまま外を眺めていた。だが、おれとチーフは最初から外にいる状態なので、何の気兼ねもなく、雨の中を歩いてあちこちの遺跡を見て回った。ポイントに来たらバイクを停めて、歩いて、遺跡を眺め、またバイクで進む。

「雨の中をバイクで大変だねえ」と車中の白人に同情されたが、「車の中からだと何も見られなく残念ですねえ」と逆に皮肉る。実際、ほとんどの遺跡は少し歩かないと見えないところにあったので、雨に濡れるのをはばかっている車の中の人たちは可哀想だった。

十分に遺跡を堪能し、山を下り始める。公園の出口を抜けるころには雨は上がっていた。

五時半、US-160 に戻ると空は快晴。夕方なのに、まだまだ暑い。西に向かう。気がつくと、さっきまでずぶ濡れだったジーンズは完全に乾いている。

六時過ぎ、Durango に到着、ガスを補給。

今日は早めに切り上げてゆっくりしたいねとチーフが妙なことを言う。年なのかな。さすがに四十にもなると体力がだいぶ落ちてるのかも知れない。ただ、Mesa Verde でのんびりしすぎたので最低でもあと二時間は走っておきたい。貯金できなくてもいいけど借金はしたくない。

さて、ぐずぐずしていても仕方ないので、さっさと出発。US-160 を東に向かう。

八時前、Pagosa Springs に到着。

本当はもうちょっと行きたいところだったけれど、South Fork まで走ったら真っ暗になってしまいそうだし、そんなに急がないといけない理由もないし、今日はここまでとすることにしよう。

さくっとモーテルを見つけて、荷物を降ろす。Pagosa Springs Pinewood Inn $69.31、ちょっと高いけど、他にない。

目ぼしいレストランはちょっと高い感じのところしかなかったので、近くにあった安めの中華料理屋に行くことにする。高い金を出してウマイものを食うのはやぶさかではないが、こんな田舎のレストランで旨い物は期待できない。だったら、安い方がいい。

小さな中華料理店のウェイトレスの一人はいわゆる ABC (American-Born Chinese) で、きっと田舎で苦労してきたのだろう、白人客への対応と、われら日本人二人および隣の席の黒人家族に対する対応が、笑えるくらいにあからさまに違う。そんなに愛想を振りまいてどうするんだという感じで白人男たちに接するのに対し、おしゃべりの邪魔をしないで欲しい的にイライラとこちらの注文をとる。ただ、そうならざるを得なかった田舎での生活風景も透けて見えるだけに、なんというか痛々しいというか、とても切ない。

それはそうと、たいしてうまくもないが久しぶりの食事と呼べる食事を堪能。ウマイ。アメリカ全土でこういうマズイ中華料理店をほそぼそと営業してくれている中国人の存在に、心の底から多謝。

九時半、モーテルに戻る道すがら、スタンドに寄り、水を買う。

水を買うだけかと思いきや、チーフが何かを探している様子。訊くと、風邪薬を探しているという。え?まじで?

チーフはどうやら風邪をひいたらしい。チーフがそう言うということは、もう完全に風邪だということだ。前兆はきっと前々から感じていたに違いない。きっと、ヨネの風邪がうつったのだろう。雨に濡れて悪化したかもしれない。さっさと切り上げたかった理由はこれか。うーむ。とりあえず Advil を買う。

モーテルに戻って携帯を確認すると電波が入っている。さっそくメールを確認すると、子供の写真が届いていた。これが楽しみで仕方がない。こっちもモーテルでくつろいでいる様子をメールする。

チーフは、よっぽど疲れたのか、薬を飲んだらさっさと寝てしまった。突然、ツインの部屋で一人ぼっちになる。

まだ十時、カリフォルニアは九時。おれはまったく眠くない。

他にすることもないので、部屋の電気を消し、三日ぶりのシャワーを浴びる。忘れていたけれど、綺麗になるってすごく気持ちいい。

風呂から出てドライバッグからパンツを取り出すと、それが最後の一枚だった。ちょうどよかった。パンツをお風呂で洗濯することにする。靴下の方はまだ余裕があったので次の機会にすることとする。チーフの下着は大丈夫なんだろうか。洗ってあげたくはないけれど、ちょっとだけ心配。

風呂から出て、地図を見ながら明日のルートを考える。明日は Great Sand Dune に寄ってから北上して、Rocky Mountain の手前くらいまで行ければ十分だな。

ウェザーチャンネルで辺り一体の天気を確認。雨はなさそうだ。
明日も楽しみだなあ。

  • 総合走行距離: 1540.60 マイル (2479.35 km)
  • 今日の走行距離: 305.82 マイル (492.17 km)
  • 最高速度: 87.6 マイル/時 (140.9 km/h)
  • 移動時間: 6時間01分
  • 移動平均速度: 50.8 マイル/時 (81.7 km/h)
  • 最低最高高度: 4137〜8404 フィート (1261〜2561 m)
  • $3.489 x 3.027G = $10.56 — 10:52:31 DAIRY CAFE — 3 W. Main St., Bluff, UT 84512
  • $3.429 x 4.338G = $14.88 — 18:17:00 MINI MART — 2501 Main, Durango, CO 81301



(Sturgis 2006 その5 へ続く)

2006年9月4日月曜日

Sturgis 2006 (その3)

(Sturgis 2006 その2 からの続き)

旅の三日目、八月七日。月曜日。

目が覚め、時計を確認すると、ちょうど六時。ちょっと早いけれど、チーフが起きている物音が聞こえたので起きることにする。

テントの外に出てみると、空は快晴だけれど、気温は 10度くらい。かなり寒い。起きたときの格好、Tシャツに短パンではちょっと無理。さっさとジーンズをはき、Tシャツの上に長袖のフリースを着る。それでもちょっと寒い感じ。

寒いのはおなかがすいてるせいもある。とりあえず、何か食べよう。

昨日 Kanab で買ったチキンパスタが袋も開けずに残っていたので、それを朝食にしよう。自分としてはもう少し軽い朝食が好ましいのだけれど、贅沢を言っても仕方がない。あるものを食べるしかない。適当に炒めて食べる。思いのほかウマイ。

ちょっと量が多かったのだけれど、捨てるのももったいなので チーフと二人でぜんぶ平らげる。

あー、おなかいっぱい。幸せ。と寛いでいたら、ガサガサと音がしたので、目をやると鹿がすぐそこにいた。チーフの体が排泄した物を舐めている。そんなんでいいのか。

チーフの排泄物を食す鹿
テントをたたみ、荷物を積み込み、North Rim へ向かう。八時。

八時半、North Rim に到着。

今日はモニュメントバレーまで 300マイル (480km) ほど走ればいいだけなので、時間はたっぷりある。急ぐ理由はまったくない。近場をあちこち歩き回り、ビジターセンターの外のテラスでコーヒーを飲みながら、グランドキャニオンを背景にくつろぐ。

North Rim からみえるグランドキャニオンは、反対側、つまり South Rim からみえるものと、とくに違いが見当たらない。写真を見比べて違いが分かる人は専門家だけだろうと思う。おれには違いが分からない。ただ、ビスタポイントの数は 圧倒的に少ないし、遊びに来ている人の数も圧倒的に少ない。初めて行くなら South Rim なのかも知れないけれど、行ったことがある人は North Rim の方がのんびりできていい気がする。おれは、次も North Rim に来ようと思う。

Grand Canyon North Rim

グランドキャニオンの絶景を十分堪能し、十時半、出発。

まずは AZ-67 を Jacob Lake まで北上。

この AZ-67 は、とくに何の期待もしていなかった道なのだけれど、走ってみたら最高に気持ちいい道だった。

林を切り裂く草原地帯のど真ん中に敷かれたその道は、適度に高低さがあり、大きなカーブでゆったりと曲がる、まさにハーレーで走るために作られたような道。70 MPH (112km/h) くらいでのんびりと、冷たい風を切り裂いていく。アリゾナは暑いイメージしかなかったのに、いい意味で裏切られた感じ。

AZ-67: A Road in a Meadow

十一時過ぎ、Jacob Lake に到着。とりあえず、ガスの補給。

US-89A を西に向かう。グランドキャニオンから下りていくに従い、どんどん気温はあがる。Tシャツに長袖フリースに革ジャンというセッテイングは、あっという間に汗まみれになる。

一時、Marble Canyon で昼飯。ホットドッグとサンドイッチとレモネード。定番のジャンクフード。

それにしても暑い。暑すぎる。さっきまで寒かったというのに、あっという間に酷暑に早変わり。とうとうナバホ国に来たなあと実感。

US-89A: バイクは日陰にしか停めたくない in Marble Canyon

アリゾナ州(とユタ州の一部)にあるナバホ国は、ナバホ国独自の法律でインディアンにより運営される国。アリゾナ州の中にあるけれど、アリゾナ州ではない。酒も買えないし、夏時間を採用しているし、観光客以外はインディアンしか住んでいない。というわけで、ここで時計の針が一時間進む。が、そんなことは気にしない。

Bitter Springs から US-89 を北上し、Page に向かう。

途中、左手に Horseshoe Bend へ向かう駐車場が目に入る。三年前は上から来たので分かりにくかったけれど、下から来るとけっこう分かりやすいところにある。誰もいなかったら行ってみようかとも思ったけれど、車が二台も止まっていたのでやめた。今日は、チーフのためにも早めにモニュメントバレーに着く必要があるので、ここで一時間も道草している時間はない。

また、かなり暑かったというのもある。三年前は熱中症になりかけてひどい思いをした場所だ。

二時過ぎ、Page の手前で US-89 から AZ-98 へと右折。念のためにいったんバイクを停めて、地図を確認する。

すると携帯がなった。なんとタイミングのいいことだろう。バイクで走っている最中は、携帯の音もバイブもまったく感じない。たまたま分岐点で地図を確認していたという絶妙のタイミング、しかも Page の近くで電波の届くエリアにいた時に電話をかけてきたその相手は、ヨネだった。おぉ、素晴らしすぎる。どうしているか聞きたいところだった。

「ところで、バイクは借りられた?」

「昨日、借りて、もう発ったよ。」

おおぉ。今日くらいにバイクを手配できるかって話だったのに、昨日の時点で出発してたのか。何が起きてそうなったのかは分からないけれど、それは会ってから聞けばいい。いやはや、嬉しい誤算だ。

「こっちは Page にいるんだけど、そっちは今、どこ?」

「Carson City でメシ食ってるところ。これから Fallon まで走って、そこから北上して I-80 で西に行こうと思ってる」

「うーん、I-80 よりも US-50 を横断した方がいいと思うよ」

「昨日、また風邪が悪化しちゃった感じで、ちょっとでも楽したいところなんだよねー」

うーん、おれ的には US-50 の方がぜんぜん楽だし、楽しいのだけれど、おれの好みを無理強いしても仕方がない。ヨネは US-50 がどんな道かは知らないんだし、I-80 でさくっと横断した方がいいって思うのも無理はないのかも知れない。

とりあえず、お互いの状況と今後の予定を手短に報告し合い、電話を切る。

とにかく、すでに出発していたというのは朗報だ。今ごろ、サンフランシスコ観光でもしながら、もう面倒だから車で行こうか、なんて言って盛り下がってるかも知れないなあ、なんてチーフと二人で心配していたのだけれど、まったくの杞憂に終わって最高に嬉しい。今、あっちはあっちで旅をしていて、あと何日か後にはどこかで合流できると思うと、さらにテンションが上がってくる。

それにしても、もし Fallon から I-80 方面に北上しちゃったら、US-50 の美味しいところはまったく走らずに終わってしまうということになるのが残念。予定通りに一緒に走っていられたら、絶対に US-50 を一緒に横断できたのになあ。

やっぱり、無理にでも US-50 を走るように勧めるべきだったんじゃないかなあ。なんか、ヨネに悪いことをしたような気になる。訊かれてもいないことを無理に勧めるのは相手に対して失礼だという思いもあれば、絶対にいいと自分が思っていることをちゃんと勧めきらないというのもどうかという思いもある。

「夫婦二人だけで走ってるんだし、きっとその方が嫁さんにとっていいってヨネが判断したってことだよ。それでいいんだって。」チーフに助けられる。

先を急ぐ。

三時過ぎ、US-160 に合流、北上。

三時半、Tonalea でガスの補給。

このままモニュメントバレーに向かうつもりだったけれど、ここでガスが満タンになったのならちょっとだけ寄り道したい。四年前に行ったときには時間が遅すぎてビジターセンターが閉まっていた国定公園が 8マイル (12.8km) ほど先にある。往復で一時間ほどの道草だけれど、「寄ってもいい?」「いいよ」チーフがいいと言ってくれることが分かっていて聞くのでズルいのだけれど、一応、聞く。

四時、Navajo National Monument に到着。ビジターセンターで目当ての Betatakin への行き方を訊くと、何マイルも歩かないといけないことが判明。ただ、見せてもらった地図にはマイルとキロの両方が書かれてあったのだけれど、計算がまったく合わない。マイルとキロのどっちの数値が正しいのかで、歩かないといけない時間がだいぶ変わってくる。どっちが正しいのか訊いてみるが、分からないという。というか、どっちかが正しいのだともしても、正しくない方は大きく間違っているということを指摘したのは自分が始めてだという。役に立ったのか、立ってないのか分からないけれど、治して置くようにお願いする。

Navajo National Monument, Navajo
いずれにせよ、歩いてる時間はないので Betatakin まで行くのは諦める。通り沿いから遠くに覗くアーチを見て、いつかゆっくり来ようと決意する。

四時四十分、US-160 まで戻って来る。あとはモニュメントバレーまで何もない。ただ、走っていくだけだ。

と思いきや、進行方向の空は真っ黒。雨が降っているのは見えないが、あの雲なら確実に雨が降りそうだ。上下ともにカッパを着て、雨に備えるとする。

降らないことを祈りながら US-160 を走り出す。そして、一分も経たないうちに雨がぽつりぽつりと降り始める。来た。カッパを着るタイミングは完璧だったようだ。

しかし、その雨はあっという間に豪雨となる。カッパを着ていようがいまいが、そんなことはどうでもいいとばかりに降りまくる。 バケツをひっくり返したどころの騒ぎではない。視界はほとんどゼロ。何も見えない。前も後ろも、どうなってるのかさっぱり分からない。バックミラーに映るライトが、かろうじてチーフの存在を証明してくれているようだけれど、体を激しく打ち付ける豪雨になすすべもない。

アクセルを緩め、徐行する。前がまったく見えないので、前進するのは怖いのだけれど、追突されるのも怖いので、とにかく一本橋を渡るようなスピードで前に進む。

前方に稲妻が落ちる。轟音が轟く。近い。大きい。怖い。また、落ちる。大自然の猛威にただただ恐怖を覚える。

好きなことをやっていて死ぬのだとしたら、それはそれで仕方ないと思う。もちろん、この旅の途中で死ぬつもりはないけれど、バイクに乗っている以上、事故って死ぬかもしれないという感覚は常にある。そうならないようにいつも細心の注意を払っているだけで、絶対に死なないとは言い切れない。今日、もしここで稲妻に殺されるのだとしたら、運が悪かったと思うしかない。

しかし、もしここで稲妻に殺されたとして、幼い子供たちは、お父さんの死をどう理解できるのだろうか。雷が怖くてトラウマになるに違いない。いや、そんなことはどうでもいい。きっと、いつか克服できるだろう。

問題は、子供たちには、稲妻で黒こげになったお父さんの顔を見せることができないということだ。女房は黒こげのおれを見て、現実を受け入れることができるだろうが、子供には絶対に見せられない。

うーむ。もし、ここでおれの命を奪う必要があるのなら、せめて顔だけは黒焦げにせずに死なせてくれないでしょうか。叶うのなら、子供たちには父さんの死に顔をちゃんと見せてやりたいのです。そうでないと、二人とも父さんがいなくなったことを理解できないに違いないと思うのです。幼い子供を残して死ぬのは忍びないし、まったく受け入れがたいことなのですが、せめて綺麗に死なせてはくれないでしょうか。

半ば本気で母なる自然にそう祈りながら、雷雨の中を少しずつ前進していく。後ろのチーフが着いてきているのかいないのか、まったく分からない。もう、気にもかけていない。

そして、少しずつ雨の威力は弱まり、だんだんとただの大雨に変わっていく。大雨はただの雨に変わり、やがて小雨へと変わっていく。

そして雷雨は過ぎ去った。あああああ、助かった!本当に怖かった。これほど怖い思いをしたことは記憶にない。もしかしたら死ぬのかもしれないと、本当に思った。

五時十分、Kayenta に到着。US-163 を北上し、先を急ぐ。

五時四十分、やっとの思いで Monument Valley に到着。

Monument Valley in Navajo

ジープツアーで中に行ったことがないとチーフが言うので、今日は必ずジープツアーをやりたいと思っていた。できればもっと早い時間に来たかったのだけれど、仕方ない。

三年前は一時間半のツアーだったので、今回は二時間半のツアーにしてみた。50ドル。運転手はハワードさん。

ジープに同乗したのはドイツ人親子五人。お父さん、お母さん、お母さんにべったりのマザコン息子、お父さん似のかなり美人の娘、そしてお母さん似のかなり可哀想な娘。激しく揺れる車に捕まり一所懸命にシャッターを押しまくる父と、そんな父さんを、「パパ、パパ、イッヒリーベシャウウェッセン!」みたいな感じで応援する娘たち。

ドイツ人なのに英語がかなりヘタだったのと、娘二人の差が印象に残った家族だった。

運転手のハワードさんは 30マイル (48km) ほど離れたユタ州の町に住んでいて、モニュメントバレーまで毎日仕事に来ている。息子が四人いるが、全員 Chicago や Salt Lake City などの都会に出て行ってしまったらしい。「まあ、ここにいたって他にやることはないし、仕方ないよね…」と寂しい顔をした。

前回は見られなかったモニュメントバレーの一番奥まで連れて行ってもらって、たっぷりとモニュメントバレーを堪能する。

Ear of the Wind, Monument Valley
暗くなってきたのでビジターセンターに戻り始める。いくら走っても着かない。相当、奥深くまで来ていたらしい。ビジターセンターに着いたときには、まっくらになっていた。

とりあえず、キャンプ場に向かう。暗いのでよく分からないが、あまり人はいない様子。好きなところを使っても良さそうだ。

ライトの明かりだけを頼りに、テントを張り始める。すると、さっきまで無風だったのが嘘のように、風がヒューヒュー吹き始める。

吹き始めたと思ったその風は、あっという間に強風へと変貌。まったく弱まる気配がなく、強くなっていく一方。

やっとの思いで設営したテントだが、杭で一部を止めてもそのまま吹き飛ばされそうな勢い。チーフのテントがひっくり返る。

いつもは左右の外室をつくるための二本だけに使う杭を、六本全箇所に使かって完全に固定。それでも吹き飛ばされそうになるほどの強風。全ての荷物を中に入れて、重石にする。まさに台風と言ってもいいくらいの強風。ふつうに立っているのも無理。おまけに風が吹くたびに、モニュメントバレーのあの細かく赤い砂が空を舞い、テントを叩きつける。バチバチバチバチッ!

うーむ。自然は厳しいなあ。

なにはともあれ寝床は確保したので、次はメシだ。

が、Kayenta で食料を調達しておく予定だったのをころっと忘れていた。雷雨をなんとかやり過ごした安堵感で、その後の予定をすっかり忘れていたのだった。うーむ。とりあえず手持ちのものを食っておくくらいしかない。

強風のなか、無理やりお湯を沸かし、カップラーメンを食うことにする。大きいカレーヌードル。温まる。ウマイ。

チーフに食うかと訊くと、いらないと言う。ウマイのに。まあ、そこでいらないって言ってしまうところが実にチーフらしいのだけれど。

仕方ないので、おれはもうおなか一杯だから、食っちゃってくれと言う。そんなら食うかと、なにげに一気食いするチーフ。ウマイに決まってる。

それから、チーフが日本からもってきた柿の種と、初日に Eureka で買ったビールの残りがあったので、それを飲むことにする。ナバホ国は禁酒なので酒類を買うことはできないが、持ち込みの検査をしているわけではない。

ああ、今日も一日終わったなあ。いつかはモニュメントバレーでキャンプしたいと思っていたけれど、とうとう実現することができて、満足至極。

寒くなってきたところで、テントに入っていざ就寝。しようにも、強風が凄まじく、寝るに寝られない。こんな台風のなか、なんで野宿なんかしているのかと自問する。そして、空を舞った赤砂がテントを叩きつける音が物凄い。どうやって寝られるのか分からない。さらに、フライの下から侵入して上まで舞う細かい赤砂が、ときどきテントの中にまで入ってきて顔にかかる。

三年前に反対側のホテルに泊まったときはまったく気がついてなかったけれど、モニュメントバレーの夜は、かくも過酷なんだなあと実感。

  • 総合走行距離: 1234.78 マイル (1987.18 km)
  • 今日の走行距離: 285.47 マイル (459.41 km)
  • 最高速度: 92.0 マイル/時 (148.0 km/h)
  • 移動時間: 4時間44分
  • 移動平均速度: 60.3 マイル/時 (97.0 km/h)
  • 最低最高高度: 3608〜9092 フィート (1099〜2771 m)
  • $3.369 x 3.703G = $12.48 — 11:12:57 JACOB LAKE CHEVRON — Jct US-89A & AZ-67, Jacob Lake, AZ
  • $3.429 x 3.788G = $12.99 — 15:35:00 BLACK MESA CONOCO — Hwy 160 Jct 564, Tonalea, AZ


(Sturgis 2006 その4 へ続く)


2006年9月3日日曜日

Sturgis 2006 (その2)

(Sturgis 2006 その1 からの続き)

旅の二日目、八月六日。日曜日。

八時過ぎ、荷物を積み込み、Eureka を出発。とりあえず Ely を目指す。

九時過ぎ、Ely に到着。昨晩は、最悪二時間弱くらいかかるかと思ったけれど、一時間で到着。誰も走っていない道を二人だけで爆走しているので、早い。それに、昨日と比べて、速い速度にもだいぶ慣れた。最初は 80MPH (128km/h) くらいで走るのも十分怖かったが、もう 90MPH (144km/h) で巡航してもまったく怖くない。

まずはガソリンを入れ、コンビニで朝食をとる。ホットドッグ、サンドイッチ、コーヒーという定番のジャンクフードをほおばりながら、地図を開き、今日の予定を相談する。

今日はネバダ州を抜け、グランドキャニオン国立公園あたりまで行く予定だ。

寄ろうと思えば途中にはいくらでも寄りたいところがある。たとえば、ブライスキャニオン国立公園やザイオン国立公園などがある。だが、ユタ州ではそんなことを言っているときりがない。潔く、グランドキャニオンまでわき目もふらずに直行する。

もし時間に余裕があったら、ちょっとだけ寄り道をして Cedar Breaks 国定公園に寄ろう。三年前に、ブライスキャニオンに行く途中で寄ってみたことがあったのだけれど、思いのほか良かった思い出があった。

Ely から三十分ほど US-50 を西に走り、Majors Place から US-93 を南下。

US-93: まっすぐな道 in Nevada

十一時半、Panaca にてガソリンと早めの昼飯。さっき Ely で食べたものとあまり変わらないジャンクフードでカロリーの補給。こういう田舎道では、食べられるときに食べておかないと、次のスタンドまで二時間かかることもある。

さて、Panaca からは NV-25 を西に、ユタ州へと走る。

十二時半、ユタ州との州境に到着。

NV-25/UT-56: WELCOME TO Utah!
ここから先は Mountain Timezone になり、一時間、時計の針が進む。時計の時間が変わっても、体の時計は簡単には変わったりしないし、混乱するだけなので、とくにバイクの時計の針は合わせない。携帯に表示される時刻は自動的に現地時間が表示されるので、必要ならばいつでも確認はできる。

それはそうと、バイク乗りにとってはタイムゾーンの変更よりも重要な違いがここからある。そう、ユタ州はヘルメットの着用義務がないのだ。ヤッピー!

そもそもネバダ州のようなほとんど砂漠の州で、何ゆえヘルメットの着用義務があるのかはよく分からないが、とにかく、ここユタ州から先は、当分の間、ヘルメットの必要がない。

ずっとヘルメットをしながら走っていて、いきなりヘルメットなしで走り始めると、ちょっと怖い感じがするのだけれど、それもすぐに慣れる。いったん慣れてしまうと、頭の軽いことの快適さは、本当にたまらない。なしで乗るとよく分かるのだけれど、ヘルメットはほんとうに重いのだ。気がついてないだけで、ヘルメットのせいでかなり首が疲れているのだ。

二時半、Cedar City で休憩。地図を見ながら相談。どうやら時間はありそうだから、Cedar Breaks National Monument に寄り道しながら行くことにする。

三時半、Cedar Breaks National Monument に到着。ここは、いつか Bryce Canyon みたいになると思うけれど、まだなってなかった。

というか、そんなことより、とにかく寒い。GPS を見たら標高 10500フィート (3200メートル) と表示されている。それほど登ってきたつもりもなかったけれど、Cedar City では 6000フィート (1800メートル) くらいだったのだから、かなり登ってきたことになる。寒いはずだ。

山を下り、US-89 を南下する。

五時、Orderville にてガソリンの補給。ここで嬉しいできごとが起った。それは、チーフのクレジットカードでガソリンが入れられたことだった。

実は、このスタンドに来るまでチーフのクレジットカードはことごとく利用が拒否されてきたのだった。

うちの近所のスタンドでは郵便番号の入力を要求されて、日本から持ってきたクレジットカードが使えないという面倒な問題があるのだけれど、実は要因はそれだけではなく、カードのスワイプする方向が日本のそれとは反対でカードをちゃんと読み取ってくれない機種もあるのだ。

三年前は、うちの近所を除けばほとんどどこでもクレジットカードでガソリンを入れることができたのに、今年の旅ではネバダ州に入ってもチーフのクレジットカードが使えずに、かなり面倒な思いをしてきたのだった。

わざわざ、海外で使えるという触れ込みのインターナショナルクレジットカードとか銘打たれたものを持ってきたというのに。

それが、この Orderville のスタンドでは、初めてちゃんと使うことができたわけだ。これで、この先ずっとクレジットカードが使えないというわけではないということが分かったのは朗報だった。

店に入らずにガスの補給が済むなら、必要がなければ 10分くらいの休憩でスタンドを後にできる。カードが使えなければ、必ず店に行く必要があるし、先払いのスタンドなら、ガスを入れるだけで店をニ往復しないといけない。かなり面倒だし、時間もかかる。

それに、田舎では無人のスタンドもちょくちょくあるから、そういう場合、カードが使えないと入れられない。まあ、その場合はおれのカードで入れればいいだけなのだけれど。

ちなみに、クレジットカードが使えないのはスタンドのポンプだけであって、コンビニでもレストランでも、対人で使うところでカードが使えないところはどこにもなかった。

なにはともあれ、さらに US-89 を南下。

五時半、Kanab のスタンドで作戦会議。

地図で確認すると、ここから先には Fredonia か Jacob Lake の二つしか町がない。しかし、どういう町だかよく分からない。

二人とも Kanab に来るのもグランドキャニオンに来るのも初めてじゃないけれど、North Rim に行くのは二人とも初めて。Kanab から先がどういう感じなのか、まったく知らない。

今夜は野営の予定だから、どこかで食料を買えると思ってたらどこにもなかった、という事態は許されない。まだ先にも店はあるかも知れないけれど、とにかく食料を買っておくことにする。ビール、氷、ソーセージ、ビーフジャーキ、その他もろもろ。

六時過ぎ、アリゾナ州との州境に到着。ここで時計が一時間もどる。

知らない人は、アメリカの全ての州で夏時間の適用があると思ってるかも知れないけれど、じつは夏時間がない州、地域もいくつかある。そのひとつがアリゾナ州。アリゾナ州には夏時間の適用がない。(あと、ハワイとインディアナの東部には夏時間の適用がない)

そういうわけで、アリゾナ州に入った瞬間から、タイムゾーンは変わらないのだけれど夏時間がなくなって、時計は一時間もどることになる。結果的にカリフォルニアの夏時間と同じ。つまり、時計は五時過ぎに戻った。まあ、時間なんて気にしても仕方ないし、別に気にもしてないし、あるがままを受け入れるだけ。

そして、六時ちょっと前にグランドキャニオンの手前の最後の町、Jacob Lake に到着。そこには、予想に反して大きなスーパーとモーテルがあった。ふむ。まあ、結果的には、ここで食料を調達するのが最善手ではあったということになる。損したわけでもないし、いいのだけれど、次はここで買うことにしよう。

10分ほど休憩したら、AZ-67 を南下して、グランドキャニオンへと急ぐ。時間も遅いといえば遅いし、観光は明日にして、まずは寝床の確保だ。

六時半、グランドキャニオンのエントランスに到着。

AZ-67: Grand Canyon National Park
パンフレットをもらい、キャンプ場のことを訊いて見る。「キャンプ場、空いてるか知ってますか?」「うーん、残念ながら North Rim のキャンプ場は、もう空きがないですよ」

むむぅ。こんなところでもちゃんとキャンプする人がいるどころか、たくさんいるのか。世界中から観光客がくる South Rim と違って、わざわざ行かないと行けない North Rim だから、それほど人もいないんだろうし、ましてやキャンプ場なら空きがあるだろうと高をくくっていたのだけれど、甘かった。それにしても、けっこうな広さのキャンプ場が当たり前のように埋まっているというのは凄い。アメリカ人は本当にキャンプが好きだと感心する。

ここまで来る途中の DeMotte というところでロッジとキャンプ場があったように見えたけれど、まずはそこまで戻るか。

とりあえずどうしたらいいと思うか、レンジャーに訊いてみる。「そこまで戻らなくても、4マイル戻ると 22 って道があるから、そこを右折して奥に入っていけば、道の脇で適当にオフロードキャンプできるよ。この通りから見える草原でのキャンプはダメだけれど、それ以外なら好きなところでテントを張っていいよ」

ふーむ。いきなりオフロードキャンプか。ヨネの嫁さんがいなくて良かったけれど、それにしても、うーむ。

ここで悩んでいても仕方ないので、とりあえず戻ってみて、その 22 という道を見てみよう。戻ってみると、その道はダート、砂利道だった。むむ。ちょっと引く。もう少し戻れば DeMotte にキャンプ場があるから、やっぱりそっちに行ってみよう。

さくっと DeMotte まで戻って、ロッジのレジストレーションにてキャンプサイトに空きがあるかを確認。「となりのキャンプサイトは、じつは今、全面改装中で使えないんです。ロッジには空きがありますけど、どうしますか?」

うーむ。ちなみに値段を聞いてみたらツインで 128ドルと言われた。考えるまでもなく退散。

結局、レンジャーが勧めてくれたオフロードキャンプしかないということか。さらに Jacob Lake まで戻ってもキャンプ場らしきものはなかったし、戻りながらキャンプ場を探していたら、二時間くらい戻らないといけなくなる感じだ。

仕方がない。面倒くさいけれどダートを行くしかない。意を決して 22 に入っていくことにする。

奥に入っていってみると、そこは、ちゃんとしたキャンプ場というわけではないのだけれど、一応、キャンピングカーで来る人たちが車を止めることができるような作りになっていた。ほほう。実は、それほど悪くないかも。

まあ、他に選択肢があるわけでもないし、適当に見つけた場所でテントを張ってしまうことにした。七時。

周りにはまったく人影がまったくなく、いきなりワイルドなキャンプということになったわけだが、林に囲まれたそのひっそりとした場所は、よく見ると回りに乾いた枯れ木がたくさんあって、火にくべる木にはまったく困らなかった。空を仰げば、天の川が綺麗に見える。たいしてうまくもないはずのソーセージが最高にウマイ。ビールもウマい。期せずして、最高のキャンプになった。

十一時、火を消してテントに入る。

気温が低いのでスエットパンツをはいてシュラフの中にすっぽり入ってみる。するとどうも暑すぎる。羽毛のシュラフは、思いのほか温かいのだ。ジッパーを少しずつ開けていくと結局全開になってしまい、すると寒くなりすぎる。寒すぎて、暑すぎて、どうにも気持ちいい設定が見つからない。結局、スエットパンツを脱いで、Tシャツにパンツだけという軽装になる。シュラフは下半身だけジッパーを全開という設定に落ち着く。

明日は初めての North Rim かあ。楽しみだなあと思っていたら、あっという間に眠っていた。
  • 今日の走行距離: 451.46 マイル (726.55 km)
  • 最高速度: 94.4 マイル/時 (151.9 km/h)
  • 移動時間:  7時間4分
  • 移動平均速度: 63.8マイル/時 (102.6 km/h)
  • 最低最高高度: 4698〜10530 フィート (1432〜3210 m)
  • $3.289 x 4.039G = $13.28 — 09:16:04 R-PLACE 1 — 1100 Aultman St., Ely, NV 89301
  • $3.349 x 3.428G = $11.48 — 11:25:00 MCCROSKY'S SHELL — Junktion 93 & 319, Panaca, NV 89042
  • $3.299 x 3.833G = $12.65 — 16:58:43 SINCLAIR — Orderville, UT



(Sturgis 2006 その3 へ続く)

2006年9月2日土曜日

Sturgis 2006 (その1)

(Sturgis 2006 その0 からの続き)

旅の初日、八月五日。土曜日。

始まる前から問題が発生した今回の旅だけれど、とにかく、今日、チーフと二人で出発する。

朝食を取り、忘れ物がないかを確認し、全ての荷物をバイクに載せる。出発を目前に控え、心があまりに高鳴らないように、平常心で必要な作業を淡々とこなす。

ガラージから出したハーレー二台に子供たちがよじ登って遊ぶ。

これから始まる二週間の旅にワクワクしている反面、子供たちには二週間も会えないと思うと、かなり後ろ髪を引かれる思いがする。まあ、写メールという手もあるし、お父さんが友達と遊びに行ってしまってお家に二週間もいないという状況は、子供たちにとってもいい体験になるだろう。

四年ぶりのスタージスへの旅。

分かりやすいのでスタージスへの旅とは言うものの、実際にはスタージスは旅に出るための単なる言い訳だ。スタージスにはただ寄るだけであって、本当の楽しみはその道程にある。これはどんなツーリングでも同じ。バイクでの旅の目的とは、目的地にたどり着くことではなく、目的地に行こうとする行為とそのための手段を行使することにこそある。つまり、手段が本当の目的であって、目的地は手段を行使するための方便というわけだ。

準備はできた。八時半。さあ、出発だ。

出発してすぐに El Camino Real に出ると、近くのモーテルに泊まっていたヨネとヨネの女房がこっちに向かって手を振っているのが見えた。本当なら一緒に出発する予定だった二人だ。おれとチーフがここを通るまでずっと待っていたのだろうか?よく見えなかったけれど、二人で手を振っていたということは、嫁さんもだいぶ元気になったということなんだろうか。

何日後になるかは分からないけれど、二人とちゃんと合流できますように…

Woodside から Dumbarton Bridge までは、US-101 を使わずに裏道で抜けていく。いきなり US-101 に飛び乗るよりも、裏道でのんびり走りながら橋に向かい、橋の手前からスピードを上げていく方が気分が盛り上がるのだ。

見慣れた橋を渡り、インターステートに乗る。まずは、Stockton まではひたすら高速道路を走って、街から脱出するのだ。

日本から来た人たちにはさんざん田舎だと揶揄されるベイエリアだが、高速道路で二時間ちかく走らないと街からは完全には脱出できないのだから、アメリカ全体の空虚具合で考えると、物凄い大都市圏の一つなのは間違いない。

Stockton から CA-88 を北上。Jackson あたりまでは我慢が必要だが、そこから先は徐々にシエラネバダ山脈を越える林道へと変わっていく。カリフォルニアでも有名な Scenic Byway の一つ。誰を連れてきても、いつも好評な道だ。

が、しかし、今回はあまりにも車が多すぎた。いつもならば、目の前のすべての車をどんどん追い越して、高速コーナーの連続する林道を堪能するところなのだけれど、とにかく、抜かすべき車が多すぎる。昨日アメリカに着いたばかりで、時差ぼけもかなりのものだと想像されるチーフと二人で走っているので、車を追い越すのにもそれなりに気を使う。一台追い越すだけなら何の問題ないけれど、三台も一気に追い越さないとなると、一人でさっさと走っていってしまうわけにはいかない。

抜かしても抜かしても車の後ろを走らされ、結局、CA-88 の楽しさをそれほど堪能することもできずに South Lake Tahoe の分岐点まで到達してしまった。この道が大好きなおれとしてはかなり物足りなかったのだけれど、最初から飛ばしすぎても仕方ないし、八年ぶりに一緒に走るチーフとの間合いもまだまだ計りきれていない。

さて、いつもは Lake Tahoe は飛ばして Carson City に先を急ぐのだけれど、今回はなんとなく Lake Tahoe に寄ってみることにした。チーフが Lake Tahoe には行ったことがないというし、綺麗な Lake Tahoe を観るのも悪くないだろう。そういえば、おれもバイクで来たことはない。

だが、これは完全に余計だった。観光地 Lake Tahoe の週末は、案の定、大渋滞していた。

よくよく考えてみれば、そもそもここはそういうところだったかも知れない。いつも車で来ているところは、そこがバイク乗りにとってどういうところなのか、いまいち正確に理解できていないということかも知れない。それに、ときおり垣間見える湖は確かに綺麗な湖面を現しているのだけれど、ロープウェイで上まで登って見ないことにはなんら特別な感慨も浮かばないということにも、今更ながら気づかされた。

ひとことで言って、Lake Tahoe はバイクで走って楽しめるところではないということだ。

せっかくなので、ゆっくり立ち止まって観光していくという手もあったのだろうけれど、こんな大渋滞の観光地はさっさと抜けたいという思いで、とにかく我慢の走りを続けることにした。こんなことなら、Lake Tahoe なんかに寄るんじゃなかった。おれは Lake Tahoe がどんなところかよく知ってたはずなのに、チーフには悪いことをした。もう、バイクでは来ない。

お腹がすいているのを我慢して、なんとか Lake Tahoe を抜ける。やっとの思いで Carson City に到着。もう三時だ。

町を抜ける前に何か食べなくては体力が持たないと、とりあえず目に入った Carl's Jr. に飛び込む。かなり遅めの昼飯。6 Dollar Burger を食べるのはかなり久しぶりだったので、思いのほか満足。

さて、飯を食ったら先を急ぐ。今日は、最低でも Austin まで行く必要がある。四年前は Austin に泊まった。ただ、三年前に走った時には一日で Ely まで行ったこともあるし、できれば Ely まで行きたいと思っている。

ふたりともタバコを吸わないのでペースが早い。ガソリンスタンドでガスを入れ、水を買い、トイレに行ったら、さっさと出発できる。二人しかいないので、何ごともスムーズに進む。

Carson City を抜け、Fallon を抜けると、後は、もう何もない砂漠に突入する。The Loneliest Road in America と呼ばれる US-50 をひた走る。この旅は、こういう道が走りたくてやっているようなものだ。

US-50

何もない砂漠をひた走り、遠く左手に見える Sand Mountain に立ち寄る。五時。

Sand Mountain, Nevada


バギーカーやオフロードバイクで砂の山を登って遊んでいる人たちは、ここで遊ぶために何時間もかけて来たのではなく、このためにわざわざキャンピングカーでここに来て、そのまま住んでしまってるように見える。どうやって生活しているのかさっぱり分からない。旅をしていると、そういう世捨て人みたいな人をちょくちょく見かける。

遊んでいる人たちをひとしきり観察し、感心したあと、また何もない道に戻り、西へ向かう。

ほどなく Austin に到着。六時半前。とりあえず今日のノルマは達成だ。これから、どこまで走るかの相談をする。

さっきまで、今日は Ely までは行けるだろうと思っていたのだけれど、思いのほか疲れていることを感じる。久しぶりの長距離だし、Lake Tahoe の渋滞も疲れたし、もしかしたら年もあるのかも知れない。知らないうち三十も後半だし、チーフなんて気づいたら四十代になってる。Ely は遠すぎるなあ。

Ely まで気力が持つかどうか、よく分からないので、とりあえず、Eureka まで走ってみてから考えようと決める。

そして、Eureka に到着。七時半前。

さて、どうするか。この先の Ely までは、途中にまったく町がなく、二時間くらいかかるので、Eureka を発つか、泊まるかの二者択一。

今すぐにここを発っても Ely に着くのは九時過ぎになる。八時半くらいには日が暮れるだろうから Ely につく頃には真っ暗になっている。

うーん、やめよう。疲れたし。

おれとしては、Austin にも Ely にも泊まったことがあるけれど、Eureka にはまだ泊まったことがないので、ここで泊まるというのは悪くない。

そして、人口千人に満たない小さな町、Eureka の Ruby Hill モーテルに泊まることにした。典型的な田舎町のモーテル。55ドル。ちょっと高いけれど、他にないので仕方ない。

宿が確保されたら、次に考えることはメシだ。

が、ちょっと前にボリュームたっぷりのハンバーガーを食べたばかりなのにで、おなかはぜんぜん空いてない。晩飯は、ビーフジャーキーとビールでよしとすることにしよう。

モーテルのとなりのスタンドでつまみを買い、ビールを買おうとしたら、酒は売ってない。向かいのバーで買えるというので、道路を渡ってバーに入る。田舎のバーなので、 常連客の「なんだこのアジア人は」的視線がちょっと痛かったりするが、店員は通りすがりの客人になれた様子。ネバダにいるので Sierra Nevada を買うことにする。チーフが二本でいいというので、おれも二本にして四本。「Sierra Nevada を 4本ください。」

そしたら、カウンターの姉ちゃんが「4本だと 14ドルだけれど 6本なら 10ドルだから、6本にしなよ」と言う。あれば飲むだけのことだし、安いにこしたことはない。素直にそうすることにした。それにしても、あっという間に一日目が終わってしまった。待ちに待った一日目だったというのに。

半年も待ったこの二週間が、こんなに早いペースで消費されていくのはもったいない。でも、まだ、あと二週間近くもある。これから毎日、こういう日が続くのだ。来週も続くのだ。そう考えると嬉しくて仕方ない。

なんとなしに携帯を確認してみると、案の定、電波は届いていない。これからコロラドに入るまでの数日は、電波のない生活だろう。それにしても、ヨネは、いつバイクを手に入れて出発できるだろうか。それとも、本当に出発できるのだろうか。

そして、明日の予定のことなどまったく考えもせず、知らないうちに二人とも寝ていた。

  • 総合走行距離: 496.86 マイル (799.61 km)
  • 今日の走行距離: 496.86 マイル (799.61 km)
  • 最高速度: 93 マイル/時 (149.6 km/h)
  • 移動時間: 8時間21分
  • 移動平均速度: 59.6マイル/時 (95.9 km/h)
  • 最低最高高度: -34.9〜8577 フィート (-10.6〜2614 m)
  • $3.499 x 3.622G = $12.67 — 09:56:03 JON'S PIT STOP — 10773 HWY 49, Martell, CA 95654
  • $3.379 x 4.019G = $13.58 — 16:12:59 SMEDLEYS CHEVON — 1755 W. Williams, Fallon, NV 89405
  • $3.589 x 3.149G = $11.30 — 18:20:00 JOE DORY'S CHEVRON — 16 Main St., Austin, NV

(Sturgis 2006 その2 へ続く)

2006年8月29日火曜日

Sturgis 2006 (その0)


八年前に初めてスタージスに行ったとき、そこに各地から集った友人たちと、またいつかここに来れたらいいね… なんて話していた。

Sturgis Rally。ハーレー乗りなら誰しも一度は行ってみたいと思うであろう、世界最大のハーレーイベント。人口、たった六千人程度のサウスダコタの田舎町 Sturgis に、五十万台以上ものハーレーが集まる狂気の一週間。

毎年かならず行くという人たちもたくさんいるが、毎年来てたらきっと飽きるだろうから、四年に一回くらいでいいかと半ば冗談で言っていたら、八年前の四年後、つまり四年前にも行ってしまっていた。

そして、その時、四年に一度、ワールドカップの年にはスタージスに行く、ということに決めた。決めたと言っても、別に何をどう決めたというわけでもないのだけれど、まあ、四年に一回くらいは贅沢にバイクで旅ができるように、日々、頑張ろうと思うことにした。

ベイエリアから Sturgis までは往復で 3,500マイル (5,600km) くらいなので、行って帰って来るだけなら一週間でも無理すれば何とかなるけれど、それでは面白くない。どうせなら、アメリカの大自然や Scenic Byways もついでに楽しみたい。そうなるとやはり少なくとも二週間は欲しい。二週間もまるっと仕事を休んでバイクで旅をするというのは、贅沢といえば贅沢なことだと思う。

とはいえ、そもそもおれは遊ぶためにこそ生きているのだし、ときどきはこうやって思い切って遊ぶことができないのだとしたら、何のために生きているのかが分からなくなる。もちろん、その時々の都合でそうも言ってられないこともあるかも知れないけれど、四年に一回くらいは、自由に遊ぶ都合を他の全てに優先できなくて、なにが「遊ぶための人生」かという思いもある。

もちろん、社会と関わりを持ちながら生きている、もしくは生かされている以上、死ぬまでは完全には自由になれないのだろうけれど、四年のうちのたったの二週間すらも自由気ままにすることが許されないのだとしたら、そんな不自由な人生は辛すぎる。せっかく運良く自由な国に生まれたというのに。

ま、そういうわけで、今年はワールドカップの年であり、四年ぶりのスタージスへの旅の年ということだ。

さて、二週間ほどの旅を一人で寂しく行う気はまったくなかったので、一緒に行ける遊び人を探す必要があったわけだが、八年前にスタージスで集ったメンツのうちの二人、チーフとヨネが行くというので、今回も行けることと相成った。

そして、半年ほど前から、メールやメッセンジャーなどで何度も連絡を取りながら計画を練りに練り、とうとう出発前日、八月四日(金)がやってきた。

チーフをサンフランシスコ国際空港に迎えに行き、六年ぶりくらいの再会。LA から来る予定のヨネは、バイクをピックアップする EagleRider San Jose で落ち合う約束。

まずは、チーフと一緒にウォルマートなどで下着類を物色。靴下などはブーツで汚れまくるだけなので、安いのを買って持って行って、適当に捨ててくるのが簡単でいい。そのほか、こまごまとしたものの買出しを済ませる。

一通り必要なことを済ませ、家に戻ってメールをチェックすると、ヨネからメールが。出発を知らせるメールかと思いきや、嫁が風邪を引いてしまい、出られるかどうか不明という。むむむ。

実はこの日までに、ヨネ家の事情などで計画が軽く二転三転としてきた経緯があったのだが、当日になってまだ変更が発生するとは思っていなかった。本当はあまり気乗りしてないのだろうか?まさか、ドタキャンなんてことがあるとは思ってなかったけれど… 風邪ならば、その風邪の具合にもよるんだろう。熱でもあるなら、どうしようもないだろうし。熱のある嫁を置き去りに二週間も旅をするバカ夫もありえないし。

どういう話になるのかと気を揉んでいたらヨネから電話が入る。とりあえず、明日の出発がどうなるかは分からないけれど、まずはうちに向かっているという。熱のある嫁は車で寝かせた状態で I-5 を北上中らしい。行く気はあるらしい。まだ予断を許さないが、出発はしたらしい。望みを捨ててないのは、こっちにとっては朗報だ。

予定ではバイク屋で落ち合う予定だったが、予定よりも早い時間にこちらに着けそうなこと、バイク屋から女房に車を運転させるのは無理そうなことなどから、まず、直接、うちに来ることになった。風邪を引いているので、うちに泊まる予定は中止して、近くのモーテルに泊まることにして、そこにチェックインしてからうちに合流し、おれがチーフとヨネをバイク屋に連れて行くという寸法だ。間に合う時間にうちに来てくれれば問題ない。

果たして、ぎりぎりの時間にヨネはうちに到着した。予定よりも 15分くらい遅れているけれど誤差の範囲だろう。しかし、この 15分がとんでもなく大きな話になるとは、この時は知る由もない。

二人を連れてサンノゼのバイク屋に着くと、ちょうど自分たちよりも 5分くらい先に来たと思われる一人のバイク乗りが、週末だけの予定でバイクを借りる手続きをしていた。偶然にも日本人だった。聞けば、出張でベイエリアに来たので、週末にオレゴン辺りまで走ってみようと思ってバイクを借りに来たらしい。

手続きが進み、彼はエレクトラグライド・クラシックを借りていった。偶然にもチーフとヨネが借りるのと一緒のバイクだ。

次はチーフとヨネの手続きの番だ。何も問題なく話は進む。

と思いきや、店内にはエレクトラグライド・クラシックは一台しかない。先に手続きした チーフは問題ないが、ヨネのバイクがない。ヨネの契約書には「エレクトラグライド」としか書かれておらず、クラシックとは明記されていないため、店の店員もまったく悪びれる様子はない。店内のバイク、どれでもいいよと言われても、二人分の荷物を載せて二ケツで二週間も旅をするのに、ただのエレクトラグライドは厳しすぎる。全泊モーテルならいざ知らず、キャンプもする予定なのだ。クラシック以外はありえない。

実は、こんなことが起きては困ると、予めヨネは「クラシック」と明記するように注文していたのだが、どういうわけか受け入れてもらえず、99% 大丈夫だという口約束をしぶしぶ受け入れることを余儀なくされたという経緯があった。そして、マーフィーの法則のとおり、今回の事件が起きてしまった。

ヨネは契約元に電話して猛烈に抗議。他の店などにクラシックがあるかどうか調べさせたり、いろいろと交渉して頑張ってみる。が、残念ながら、クラシックはどこにもない。さっきの日本人が目の前で借りていったバイク、あれが本当はヨネのバイクだったのだ。あと 5分早く店に到着できていたら、こんなことにはならなかったに違いない。店員は、エレクトラグライドはまだ他にもあったので、どれでもいいと思ってあのバイクを彼に貸したのだろうが…

さて、どうするか。

ヨネは、クラシックが借りられないなら、バイクは借りないと言う。そして、あの日本人が返しに来たら、それを借りて出発するという。月曜日になるかも知れないが、仕方ない。無理に違うのを借りて、二週間も苦労するよりも、実はそれが最善かも知れない。

そもそも、嫁は今、熱を出して寝ているのだし、明日(土曜日)の出発はどう考えても無理がある。それならば、もう一日ゆっくりと休んで、週明けから出発というのも悪くない。

まあ、よく考えれば、そもそも嫁が熱を出してなければサンノゼで落ち合うことができたはずで、そうだったならばずっと早くにこの店に到着できていたはずで、あの日本人に先を越されてしまうようなことはなかった。ということは、嫁に風邪をうつしたヨネが悪いといえば悪いのだが、逆に、ゆっくり休養できる理由ができてよかったと考えればいい。どうせ今日、クラシックが借りられていたとしても、明日には出発はできなかっただろうから、乗らないバイクを借りてレンタル代を払うよりも良かったと考えればいい。早く良くなったら、サンフランシスコにでもゆっくりと遊びに行けばいいだろう。

それにしても、出発前からこんな波乱が起きるとは思いもしなかった。やはり、ちゃんとクラシックまで指定できる HOG の Fry& Ride じゃないとダメということかも知れない。3月に電話した時にはすでに予約が一杯と言われてしまったので、次回は 1月中に予約を入れるくらい先手でいかないといけない。

とにかく、三台で出発の予定は完全に狂ってしまったが、どこかで落ち合うということにして、なんとかしよう。一人で走るのはそれなりに不安もあるだろうが、女房も一緒なのだから寂しくはないだろう。

というわけで、明日はチーフと二人だけで出発だ。ヨネとヨネの嫁とは、コロラドかネブラスカあたりで合流しよう。間に合わないようならスタージスで合流というのでもいい。

そういえば、チーフと二人だけで走るのは、日本で最後のキャンプをした 97年の夏以来か。FX系ショベル乗りの二人が、いつかこうしてファットヘッドのツアラーで一緒に走ることになるとはなあ。

(Sturgis 2006 その1 に続く)

2006年7月15日土曜日

一年ぶりの再会


キャンプ道具やらバイク関係のものを片付けていたら、どこに行ってしまったのか不思議に思っていたものを、偶然見つけた。なんでそこにあるのか不思議だったけれど、とにかく見つけた。それは、昨年の六月末に LASIK の手術をしたその日以来、一度も見ていなかったメガネ。

その日まで毎日使っていたというのに、それをどこにやってしまったかまったく記憶にないということに気づいたのは、手術して数日経ってからだった。なんか薄情な気もしたけど、べつに必要もないし、とくに探すこともなくそのまま彼女のことはすっかり忘れていた。

そんな彼女と、偶然の再会。なんでそんなところにいるのよってところで発見して、ちょっと申し訳なく思ったりしてみたけど、それはそうと最近どうよ… って感じで、思わずかけて見た。ら、やっぱりクラクラした。こんなものを毎日していたなんて、信じられない。やっぱり、いらない。別れて正解。

どうせいらないメガネなので寄付しようと思うけど、どこですればいいかな。LASIK の病院にいらなくなったメガネを寄付できるって書いてあったから、病院に行って置いてこようかな。

それにしても、あれからもう一年か。ほんと、やってよかったなあ。女房もさっさとやればいいのになあ。

ていうか、躊躇している人たちの気が知れないね。おれが払ってやるから、みんなやればいいのにって思う。