2006年9月2日土曜日

Sturgis 2006 (その1)

(Sturgis 2006 その0 からの続き)

旅の初日、八月五日。土曜日。

始まる前から問題が発生した今回の旅だけれど、とにかく、今日、チーフと二人で出発する。

朝食を取り、忘れ物がないかを確認し、全ての荷物をバイクに載せる。出発を目前に控え、心があまりに高鳴らないように、平常心で必要な作業を淡々とこなす。

ガラージから出したハーレー二台に子供たちがよじ登って遊ぶ。

これから始まる二週間の旅にワクワクしている反面、子供たちには二週間も会えないと思うと、かなり後ろ髪を引かれる思いがする。まあ、写メールという手もあるし、お父さんが友達と遊びに行ってしまってお家に二週間もいないという状況は、子供たちにとってもいい体験になるだろう。

四年ぶりのスタージスへの旅。

分かりやすいのでスタージスへの旅とは言うものの、実際にはスタージスは旅に出るための単なる言い訳だ。スタージスにはただ寄るだけであって、本当の楽しみはその道程にある。これはどんなツーリングでも同じ。バイクでの旅の目的とは、目的地にたどり着くことではなく、目的地に行こうとする行為とそのための手段を行使することにこそある。つまり、手段が本当の目的であって、目的地は手段を行使するための方便というわけだ。

準備はできた。八時半。さあ、出発だ。

出発してすぐに El Camino Real に出ると、近くのモーテルに泊まっていたヨネとヨネの女房がこっちに向かって手を振っているのが見えた。本当なら一緒に出発する予定だった二人だ。おれとチーフがここを通るまでずっと待っていたのだろうか?よく見えなかったけれど、二人で手を振っていたということは、嫁さんもだいぶ元気になったということなんだろうか。

何日後になるかは分からないけれど、二人とちゃんと合流できますように…

Woodside から Dumbarton Bridge までは、US-101 を使わずに裏道で抜けていく。いきなり US-101 に飛び乗るよりも、裏道でのんびり走りながら橋に向かい、橋の手前からスピードを上げていく方が気分が盛り上がるのだ。

見慣れた橋を渡り、インターステートに乗る。まずは、Stockton まではひたすら高速道路を走って、街から脱出するのだ。

日本から来た人たちにはさんざん田舎だと揶揄されるベイエリアだが、高速道路で二時間ちかく走らないと街からは完全には脱出できないのだから、アメリカ全体の空虚具合で考えると、物凄い大都市圏の一つなのは間違いない。

Stockton から CA-88 を北上。Jackson あたりまでは我慢が必要だが、そこから先は徐々にシエラネバダ山脈を越える林道へと変わっていく。カリフォルニアでも有名な Scenic Byway の一つ。誰を連れてきても、いつも好評な道だ。

が、しかし、今回はあまりにも車が多すぎた。いつもならば、目の前のすべての車をどんどん追い越して、高速コーナーの連続する林道を堪能するところなのだけれど、とにかく、抜かすべき車が多すぎる。昨日アメリカに着いたばかりで、時差ぼけもかなりのものだと想像されるチーフと二人で走っているので、車を追い越すのにもそれなりに気を使う。一台追い越すだけなら何の問題ないけれど、三台も一気に追い越さないとなると、一人でさっさと走っていってしまうわけにはいかない。

抜かしても抜かしても車の後ろを走らされ、結局、CA-88 の楽しさをそれほど堪能することもできずに South Lake Tahoe の分岐点まで到達してしまった。この道が大好きなおれとしてはかなり物足りなかったのだけれど、最初から飛ばしすぎても仕方ないし、八年ぶりに一緒に走るチーフとの間合いもまだまだ計りきれていない。

さて、いつもは Lake Tahoe は飛ばして Carson City に先を急ぐのだけれど、今回はなんとなく Lake Tahoe に寄ってみることにした。チーフが Lake Tahoe には行ったことがないというし、綺麗な Lake Tahoe を観るのも悪くないだろう。そういえば、おれもバイクで来たことはない。

だが、これは完全に余計だった。観光地 Lake Tahoe の週末は、案の定、大渋滞していた。

よくよく考えてみれば、そもそもここはそういうところだったかも知れない。いつも車で来ているところは、そこがバイク乗りにとってどういうところなのか、いまいち正確に理解できていないということかも知れない。それに、ときおり垣間見える湖は確かに綺麗な湖面を現しているのだけれど、ロープウェイで上まで登って見ないことにはなんら特別な感慨も浮かばないということにも、今更ながら気づかされた。

ひとことで言って、Lake Tahoe はバイクで走って楽しめるところではないということだ。

せっかくなので、ゆっくり立ち止まって観光していくという手もあったのだろうけれど、こんな大渋滞の観光地はさっさと抜けたいという思いで、とにかく我慢の走りを続けることにした。こんなことなら、Lake Tahoe なんかに寄るんじゃなかった。おれは Lake Tahoe がどんなところかよく知ってたはずなのに、チーフには悪いことをした。もう、バイクでは来ない。

お腹がすいているのを我慢して、なんとか Lake Tahoe を抜ける。やっとの思いで Carson City に到着。もう三時だ。

町を抜ける前に何か食べなくては体力が持たないと、とりあえず目に入った Carl's Jr. に飛び込む。かなり遅めの昼飯。6 Dollar Burger を食べるのはかなり久しぶりだったので、思いのほか満足。

さて、飯を食ったら先を急ぐ。今日は、最低でも Austin まで行く必要がある。四年前は Austin に泊まった。ただ、三年前に走った時には一日で Ely まで行ったこともあるし、できれば Ely まで行きたいと思っている。

ふたりともタバコを吸わないのでペースが早い。ガソリンスタンドでガスを入れ、水を買い、トイレに行ったら、さっさと出発できる。二人しかいないので、何ごともスムーズに進む。

Carson City を抜け、Fallon を抜けると、後は、もう何もない砂漠に突入する。The Loneliest Road in America と呼ばれる US-50 をひた走る。この旅は、こういう道が走りたくてやっているようなものだ。

US-50

何もない砂漠をひた走り、遠く左手に見える Sand Mountain に立ち寄る。五時。

Sand Mountain, Nevada


バギーカーやオフロードバイクで砂の山を登って遊んでいる人たちは、ここで遊ぶために何時間もかけて来たのではなく、このためにわざわざキャンピングカーでここに来て、そのまま住んでしまってるように見える。どうやって生活しているのかさっぱり分からない。旅をしていると、そういう世捨て人みたいな人をちょくちょく見かける。

遊んでいる人たちをひとしきり観察し、感心したあと、また何もない道に戻り、西へ向かう。

ほどなく Austin に到着。六時半前。とりあえず今日のノルマは達成だ。これから、どこまで走るかの相談をする。

さっきまで、今日は Ely までは行けるだろうと思っていたのだけれど、思いのほか疲れていることを感じる。久しぶりの長距離だし、Lake Tahoe の渋滞も疲れたし、もしかしたら年もあるのかも知れない。知らないうち三十も後半だし、チーフなんて気づいたら四十代になってる。Ely は遠すぎるなあ。

Ely まで気力が持つかどうか、よく分からないので、とりあえず、Eureka まで走ってみてから考えようと決める。

そして、Eureka に到着。七時半前。

さて、どうするか。この先の Ely までは、途中にまったく町がなく、二時間くらいかかるので、Eureka を発つか、泊まるかの二者択一。

今すぐにここを発っても Ely に着くのは九時過ぎになる。八時半くらいには日が暮れるだろうから Ely につく頃には真っ暗になっている。

うーん、やめよう。疲れたし。

おれとしては、Austin にも Ely にも泊まったことがあるけれど、Eureka にはまだ泊まったことがないので、ここで泊まるというのは悪くない。

そして、人口千人に満たない小さな町、Eureka の Ruby Hill モーテルに泊まることにした。典型的な田舎町のモーテル。55ドル。ちょっと高いけれど、他にないので仕方ない。

宿が確保されたら、次に考えることはメシだ。

が、ちょっと前にボリュームたっぷりのハンバーガーを食べたばかりなのにで、おなかはぜんぜん空いてない。晩飯は、ビーフジャーキーとビールでよしとすることにしよう。

モーテルのとなりのスタンドでつまみを買い、ビールを買おうとしたら、酒は売ってない。向かいのバーで買えるというので、道路を渡ってバーに入る。田舎のバーなので、 常連客の「なんだこのアジア人は」的視線がちょっと痛かったりするが、店員は通りすがりの客人になれた様子。ネバダにいるので Sierra Nevada を買うことにする。チーフが二本でいいというので、おれも二本にして四本。「Sierra Nevada を 4本ください。」

そしたら、カウンターの姉ちゃんが「4本だと 14ドルだけれど 6本なら 10ドルだから、6本にしなよ」と言う。あれば飲むだけのことだし、安いにこしたことはない。素直にそうすることにした。それにしても、あっという間に一日目が終わってしまった。待ちに待った一日目だったというのに。

半年も待ったこの二週間が、こんなに早いペースで消費されていくのはもったいない。でも、まだ、あと二週間近くもある。これから毎日、こういう日が続くのだ。来週も続くのだ。そう考えると嬉しくて仕方ない。

なんとなしに携帯を確認してみると、案の定、電波は届いていない。これからコロラドに入るまでの数日は、電波のない生活だろう。それにしても、ヨネは、いつバイクを手に入れて出発できるだろうか。それとも、本当に出発できるのだろうか。

そして、明日の予定のことなどまったく考えもせず、知らないうちに二人とも寝ていた。

  • 総合走行距離: 496.86 マイル (799.61 km)
  • 今日の走行距離: 496.86 マイル (799.61 km)
  • 最高速度: 93 マイル/時 (149.6 km/h)
  • 移動時間: 8時間21分
  • 移動平均速度: 59.6マイル/時 (95.9 km/h)
  • 最低最高高度: -34.9〜8577 フィート (-10.6〜2614 m)
  • $3.499 x 3.622G = $12.67 — 09:56:03 JON'S PIT STOP — 10773 HWY 49, Martell, CA 95654
  • $3.379 x 4.019G = $13.58 — 16:12:59 SMEDLEYS CHEVON — 1755 W. Williams, Fallon, NV 89405
  • $3.589 x 3.149G = $11.30 — 18:20:00 JOE DORY'S CHEVRON — 16 Main St., Austin, NV

(Sturgis 2006 その2 へ続く)

2006年8月29日火曜日

Sturgis 2006 (その0)


八年前に初めてスタージスに行ったとき、そこに各地から集った友人たちと、またいつかここに来れたらいいね… なんて話していた。

Sturgis Rally。ハーレー乗りなら誰しも一度は行ってみたいと思うであろう、世界最大のハーレーイベント。人口、たった六千人程度のサウスダコタの田舎町 Sturgis に、五十万台以上ものハーレーが集まる狂気の一週間。

毎年かならず行くという人たちもたくさんいるが、毎年来てたらきっと飽きるだろうから、四年に一回くらいでいいかと半ば冗談で言っていたら、八年前の四年後、つまり四年前にも行ってしまっていた。

そして、その時、四年に一度、ワールドカップの年にはスタージスに行く、ということに決めた。決めたと言っても、別に何をどう決めたというわけでもないのだけれど、まあ、四年に一回くらいは贅沢にバイクで旅ができるように、日々、頑張ろうと思うことにした。

ベイエリアから Sturgis までは往復で 3,500マイル (5,600km) くらいなので、行って帰って来るだけなら一週間でも無理すれば何とかなるけれど、それでは面白くない。どうせなら、アメリカの大自然や Scenic Byways もついでに楽しみたい。そうなるとやはり少なくとも二週間は欲しい。二週間もまるっと仕事を休んでバイクで旅をするというのは、贅沢といえば贅沢なことだと思う。

とはいえ、そもそもおれは遊ぶためにこそ生きているのだし、ときどきはこうやって思い切って遊ぶことができないのだとしたら、何のために生きているのかが分からなくなる。もちろん、その時々の都合でそうも言ってられないこともあるかも知れないけれど、四年に一回くらいは、自由に遊ぶ都合を他の全てに優先できなくて、なにが「遊ぶための人生」かという思いもある。

もちろん、社会と関わりを持ちながら生きている、もしくは生かされている以上、死ぬまでは完全には自由になれないのだろうけれど、四年のうちのたったの二週間すらも自由気ままにすることが許されないのだとしたら、そんな不自由な人生は辛すぎる。せっかく運良く自由な国に生まれたというのに。

ま、そういうわけで、今年はワールドカップの年であり、四年ぶりのスタージスへの旅の年ということだ。

さて、二週間ほどの旅を一人で寂しく行う気はまったくなかったので、一緒に行ける遊び人を探す必要があったわけだが、八年前にスタージスで集ったメンツのうちの二人、チーフとヨネが行くというので、今回も行けることと相成った。

そして、半年ほど前から、メールやメッセンジャーなどで何度も連絡を取りながら計画を練りに練り、とうとう出発前日、八月四日(金)がやってきた。

チーフをサンフランシスコ国際空港に迎えに行き、六年ぶりくらいの再会。LA から来る予定のヨネは、バイクをピックアップする EagleRider San Jose で落ち合う約束。

まずは、チーフと一緒にウォルマートなどで下着類を物色。靴下などはブーツで汚れまくるだけなので、安いのを買って持って行って、適当に捨ててくるのが簡単でいい。そのほか、こまごまとしたものの買出しを済ませる。

一通り必要なことを済ませ、家に戻ってメールをチェックすると、ヨネからメールが。出発を知らせるメールかと思いきや、嫁が風邪を引いてしまい、出られるかどうか不明という。むむむ。

実はこの日までに、ヨネ家の事情などで計画が軽く二転三転としてきた経緯があったのだが、当日になってまだ変更が発生するとは思っていなかった。本当はあまり気乗りしてないのだろうか?まさか、ドタキャンなんてことがあるとは思ってなかったけれど… 風邪ならば、その風邪の具合にもよるんだろう。熱でもあるなら、どうしようもないだろうし。熱のある嫁を置き去りに二週間も旅をするバカ夫もありえないし。

どういう話になるのかと気を揉んでいたらヨネから電話が入る。とりあえず、明日の出発がどうなるかは分からないけれど、まずはうちに向かっているという。熱のある嫁は車で寝かせた状態で I-5 を北上中らしい。行く気はあるらしい。まだ予断を許さないが、出発はしたらしい。望みを捨ててないのは、こっちにとっては朗報だ。

予定ではバイク屋で落ち合う予定だったが、予定よりも早い時間にこちらに着けそうなこと、バイク屋から女房に車を運転させるのは無理そうなことなどから、まず、直接、うちに来ることになった。風邪を引いているので、うちに泊まる予定は中止して、近くのモーテルに泊まることにして、そこにチェックインしてからうちに合流し、おれがチーフとヨネをバイク屋に連れて行くという寸法だ。間に合う時間にうちに来てくれれば問題ない。

果たして、ぎりぎりの時間にヨネはうちに到着した。予定よりも 15分くらい遅れているけれど誤差の範囲だろう。しかし、この 15分がとんでもなく大きな話になるとは、この時は知る由もない。

二人を連れてサンノゼのバイク屋に着くと、ちょうど自分たちよりも 5分くらい先に来たと思われる一人のバイク乗りが、週末だけの予定でバイクを借りる手続きをしていた。偶然にも日本人だった。聞けば、出張でベイエリアに来たので、週末にオレゴン辺りまで走ってみようと思ってバイクを借りに来たらしい。

手続きが進み、彼はエレクトラグライド・クラシックを借りていった。偶然にもチーフとヨネが借りるのと一緒のバイクだ。

次はチーフとヨネの手続きの番だ。何も問題なく話は進む。

と思いきや、店内にはエレクトラグライド・クラシックは一台しかない。先に手続きした チーフは問題ないが、ヨネのバイクがない。ヨネの契約書には「エレクトラグライド」としか書かれておらず、クラシックとは明記されていないため、店の店員もまったく悪びれる様子はない。店内のバイク、どれでもいいよと言われても、二人分の荷物を載せて二ケツで二週間も旅をするのに、ただのエレクトラグライドは厳しすぎる。全泊モーテルならいざ知らず、キャンプもする予定なのだ。クラシック以外はありえない。

実は、こんなことが起きては困ると、予めヨネは「クラシック」と明記するように注文していたのだが、どういうわけか受け入れてもらえず、99% 大丈夫だという口約束をしぶしぶ受け入れることを余儀なくされたという経緯があった。そして、マーフィーの法則のとおり、今回の事件が起きてしまった。

ヨネは契約元に電話して猛烈に抗議。他の店などにクラシックがあるかどうか調べさせたり、いろいろと交渉して頑張ってみる。が、残念ながら、クラシックはどこにもない。さっきの日本人が目の前で借りていったバイク、あれが本当はヨネのバイクだったのだ。あと 5分早く店に到着できていたら、こんなことにはならなかったに違いない。店員は、エレクトラグライドはまだ他にもあったので、どれでもいいと思ってあのバイクを彼に貸したのだろうが…

さて、どうするか。

ヨネは、クラシックが借りられないなら、バイクは借りないと言う。そして、あの日本人が返しに来たら、それを借りて出発するという。月曜日になるかも知れないが、仕方ない。無理に違うのを借りて、二週間も苦労するよりも、実はそれが最善かも知れない。

そもそも、嫁は今、熱を出して寝ているのだし、明日(土曜日)の出発はどう考えても無理がある。それならば、もう一日ゆっくりと休んで、週明けから出発というのも悪くない。

まあ、よく考えれば、そもそも嫁が熱を出してなければサンノゼで落ち合うことができたはずで、そうだったならばずっと早くにこの店に到着できていたはずで、あの日本人に先を越されてしまうようなことはなかった。ということは、嫁に風邪をうつしたヨネが悪いといえば悪いのだが、逆に、ゆっくり休養できる理由ができてよかったと考えればいい。どうせ今日、クラシックが借りられていたとしても、明日には出発はできなかっただろうから、乗らないバイクを借りてレンタル代を払うよりも良かったと考えればいい。早く良くなったら、サンフランシスコにでもゆっくりと遊びに行けばいいだろう。

それにしても、出発前からこんな波乱が起きるとは思いもしなかった。やはり、ちゃんとクラシックまで指定できる HOG の Fry& Ride じゃないとダメということかも知れない。3月に電話した時にはすでに予約が一杯と言われてしまったので、次回は 1月中に予約を入れるくらい先手でいかないといけない。

とにかく、三台で出発の予定は完全に狂ってしまったが、どこかで落ち合うということにして、なんとかしよう。一人で走るのはそれなりに不安もあるだろうが、女房も一緒なのだから寂しくはないだろう。

というわけで、明日はチーフと二人だけで出発だ。ヨネとヨネの嫁とは、コロラドかネブラスカあたりで合流しよう。間に合わないようならスタージスで合流というのでもいい。

そういえば、チーフと二人だけで走るのは、日本で最後のキャンプをした 97年の夏以来か。FX系ショベル乗りの二人が、いつかこうしてファットヘッドのツアラーで一緒に走ることになるとはなあ。

(Sturgis 2006 その1 に続く)

2006年7月15日土曜日

一年ぶりの再会


キャンプ道具やらバイク関係のものを片付けていたら、どこに行ってしまったのか不思議に思っていたものを、偶然見つけた。なんでそこにあるのか不思議だったけれど、とにかく見つけた。それは、昨年の六月末に LASIK の手術をしたその日以来、一度も見ていなかったメガネ。

その日まで毎日使っていたというのに、それをどこにやってしまったかまったく記憶にないということに気づいたのは、手術して数日経ってからだった。なんか薄情な気もしたけど、べつに必要もないし、とくに探すこともなくそのまま彼女のことはすっかり忘れていた。

そんな彼女と、偶然の再会。なんでそんなところにいるのよってところで発見して、ちょっと申し訳なく思ったりしてみたけど、それはそうと最近どうよ… って感じで、思わずかけて見た。ら、やっぱりクラクラした。こんなものを毎日していたなんて、信じられない。やっぱり、いらない。別れて正解。

どうせいらないメガネなので寄付しようと思うけど、どこですればいいかな。LASIK の病院にいらなくなったメガネを寄付できるって書いてあったから、病院に行って置いてこようかな。

それにしても、あれからもう一年か。ほんと、やってよかったなあ。女房もさっさとやればいいのになあ。

ていうか、躊躇している人たちの気が知れないね。おれが払ってやるから、みんなやればいいのにって思う。

2005年11月12日土曜日

写真うつりが悪いと損

女房の新しい免許証がようやく届いた。

仮免許証が切れるたびに DMV に出向いて仮免許証を更新し、待ち続けること 8ヶ月くらい。わざわざ郵送で送らずにその場で手渡せばいいのに、馬鹿すぎる。やつらにとっては仕事の確保こそが重要なのだろうし、役所のやることで効率 のいいことなどほとんどないので、文句を言っても仕方ないのだが。

初めて免許証を取ったコネチカットでは、デジカメで撮った写真を Windows 95 で取り込んで微調整して、その場で印刷、手渡しでくれた。筆記試験と実技試験も含めて、2時間ちょっとで免許証を手にすることができた。これの何が問題なの かはよく分からないが、カリフォルニアやニューヨークでは筆記の日と実技の日が違うのは当たり前、免許証自体も郵送式で二、三週間待たされる。ある人の場合では一年も送られてこなかったという話もあった。DMV からしてみれば INS が遅いのが悪いって話なんだろうけれど。

さて、更新手続きをしてから何ヶ月も待たされた免許証が今日、ようやく届いたわけだが、その免許証の女房の写真を見て、失笑してしまった。写真うつりの悪いことこの上なし。今まで見た女房の写真の中で、断トツでワーストワン。

おれの知らない、女房のある一面なのかも知れないけれど、何度見直しても、それが自分の惚れた女性だとはどうにも受け入れられない。正直に言うと、なんでこの人と結婚してしまったのだろうかと思っている自分がいる。

蓼食う虫も好き好きというが、おれはこんな蓼を食っていたのだろうか。ていうか、この女房は、さすがに蓼にさえも失礼なんじゃないだろうか。

もしかして、すっぴんの女房は本当はこんな感じなのだろうか。おれにはとても可愛らしく見えていた最愛の女房の素顔は、実は、撮る人が撮るとこういう風に写るものなのだろうか。

いまさら、女房の不細工写真を見て心の底から落ち込むというのもヘンな話なのだが、おれのこの凹み具合は必ず世の男性には理解を得られると思うし、世の女性にもこれでは確かに可愛そうと同情されると信じる。

ここまで一方的に言うと、さすがに多くの人を敵に回しそうだけれど、おれが正しいということを証明するためにも、恥を偲んで、女房の超絶不細工写真を下に貼り付けてみる。女房の友達は、十分に心の準備をしてから見てください。

































女房がラティーナ(♀)になったのなら、ある意味一瞬だけはかなり嬉しいかも知れないとは想像するのだが、これはどう見てもラティーノ(♂)だ。嬉しくないどころの騒ぎではない。そういう趣味もない。ていうか、おまえは誰デスカ。orz

サインが複雑怪奇すぎて、名前の想像がまったくできませんが、女房の希望により、彼のことはフェルナンデスと呼ぶことにしますので、よろしくおながいします。


ちなみに、写真とサイン以外は全て、可愛かったころの女房のデータと完全に一致していますので、違う人の免許証が間違って送られてきたわけではありません。正真正銘、これは女房の免許証なのです。これがおれの最愛の女性なのだと受け入れるしかないのです。

2005年8月27日土曜日

11時集合の BBQ

娘のプレイグループ関係で BBQ をやった。二回目。Redwood Shore のとある公園で、11時から。

娘のプレイグループ関係の付き合いだから、当然ながら参加者はアメリカで子育てをしている同世代の人たち。アメリカ人の旦那を持つ日本人の奥さんと、日本人の旦那を持つアメリカ人の奥さんというパターンが半分、両方とも日本人というのが半分。日本男と結婚するアメリカ女の気は知れないが、それはさておき、 参加者の共通点は、日本語で子供を育てているということなので、そこにいるアメリカ人の旦那も奥さんも、日本語ペラペラ。感心する。

さて、火の係を任されたオレが行かないと始まらないぞってことで、うちを出たのは 11時。途中、スーパーによってフルーツとか氷を買ったりして、現地に着いたのは 12時前。

公園についてみると、半分くらいの人はちょうどいま来たところという感じだった。そして、残りの人たちはだいたい 1時くらいまでにはぼちぼち集まったと思う。

さて、まともな日本人なら、たぶん、もう、この時点でありえなくて死ぬと思う。11時からじゃないのか、と。

参加者は、みなアメリカで子育てをしているわけで、在米暦も当然それなりの期間なので、要するに全員ニホンジンではあるけれど、とてももう日本人と呼べたようなものではない。Sushi を寿司とは呼べないのと一緒。

11時からの BBQ にわざわざ急いで 11時に来たりはしない。だって、11時に来なくてはいけないという話はないし、時間通りに始めないといけないというルールもないし、ていうか、しょせん、ただの BBQ だし。場所はちゃんと予約してあるから、大丈夫だって。ってそういう話じゃないんだろうけれど。

日本人からみれば、見た目は日本人だし喋れば日本人なのに、日本人として当然のことがぜんぜん通じないニホンジンというのは、最悪の人種だろうと思う。目が蒼ければ、異文化体験楽しいな、と受け入れられても、見た目が完全な日本人だと、たぶん無理。同じ日本人として育てられたクセに、おまえは時間も守れないの か、靖国の英霊が泣いておるぞ、と。

で、幸か不幸か、参加者にまともな日本人夫婦が一組いた。在米暦一ヵ月半のばりばり日本人。まだ、ニホンジンには堕ちてない。

彼らは誰も居ない公園に、ちゃんと 11時に到着し、みんなまだかなあ、なんて思いながら、1時間近く待たされる羽目になった。何がどうなっているのかさっぱり分からないまま、機嫌の悪い子供をあやして、ただただ待ち続けた。いつかは必要な洗礼なのかも知れないが、ちょっと、かわいそう。

日本では、物事はちゃんとしているのが正しい姿であって、ちゃんとしない理由はない。みんな、ちゃんとできるから、できないやつは馬鹿か外道かガキということになる。

アメリカではちゃんとできる人は滅多にいないから、そもそも何事もちゃんとできないのが前提。11時からというのは、昼飯は BBQ で食おうねって意味しかない。11時ちょうどから始めますという意味ではない。だから、11時に来るやつなんて、一人もいない。それに、公園でやる BBQ だよ。別に、時間なんてどうだっていいじゃん、酒があるなら。


ちなみに、アメリカ人がちゃんとできない理由の要素の重要な担い手でもあるヒスパニック系になると、さらに凄い。

同僚の体験では、結婚式のような大事なパーティでさえも、1時開始って書いてあったのに実際には 4時から始まって、2時くらいから待ち続けて死んだのはアメリカ人のその同僚だけで、他のメキシコ人たちはみんな 3時半ごろにぞろぞろ集まってきたらしい。もし、そこにまともな日本人がいたら、きっと 12時半くらいから待ち始めて、1時間くらい経って、これは場所を間違えたに違いないと確信して、死に物狂いで市内を走り回って、4時過ぎにみんなを発見して、「遅かったなあ、セニョール」なんて言われて、発狂すること間違いなし。

かれこれ 15年以上は腕時計とかしてないし、持ってもいないような、日本で一二を争うくらい時間にルーズなおれにとっては、こういうのって非常に快適で助かるわけなのだけれど、そうじゃない人には地獄なのだろうなあ、と想像する。想像して分かってあげた振りをするだけで、実は想像もしない。


それにしても、日本人がニホンジンに堕ちるのに、どのくらい時間がかかるのだろう。

2005年8月15日月曜日

LASIK 後一ヶ月検診


六月の終わりに、LASIK コマンドを使って間違った世界を矯正して、一ヵ月半ほど経った。
で、いろいろと忙しくて行けなかった一ヶ月検診に行ってきた。

前回は右目と左目の視力の差にちょっと違和感があったけれど、そのうち治るから気にするなと言われて引き下がった。今回は引き下がらずに文句を言うぞ。と思いきや、そういえば、知らないうちにぜんぜん気になってなかった。あれ?治っちゃったんかな。

道すがら、何度も視力差を確認してみたけれど、どうもはっきりとした差が分からない。確かに左目の方がクリアに見える気がするけれど、右目もべつに問題ない。うーん、文句が言いたかったのに、これじゃ文句がない。困った。

で、仕方ないのでとりあえず黙って視力を検査してみたら、左目は 20/15 で右目は 20/20 だった。1.3 と 1.0 といったところか。

右目の見え方が先月の左目のレベルに追いついて、左目はさらに視力がアップしたということになる。確かに左目の方がいいのは確かなようだけれど、どっちも十分すぎるほど見えてるということか。

ふーむ。

つづき: 一年ぶりの再会

2005年8月14日日曜日

パリティ対称性の破れ


目の角膜を削って世界を治してから、二週間くらい経った。ときどきメガネをよけながら目の上をかいたりするけれど、メガネをあげるような動作はほとんどしなくなった。

さて、最初の検診のとき、左目は 1.0 で右目は 0.7 だったので、微妙な違和感があったのだけれど、先日の検診では両方とも 1.0 になっていた。

手術前は右目の方が倍くらい悪かったので、そんだけ多く角膜を削ってるわけで、結果として、右目が左目と同じような状態になるには左目よりも時間がかかるのは当然という説明を受けたが、二週間経ってみて、確かに右目の見え方がクリアになったというのはよく分かる。

でも、かなり目に近いところで比べてみると、まだ左目の方が明らかにクリアに見えるのもよく分かる。仕事柄、目のまん前にあるものばかり見ているので、こ の差が時々気になることもある。気にしだすと、右目と左目を交互に瞬きし続けてたりしていて、傍から見てると、何してんの?って感じになってたりする。

医者曰く、多くの人がすごく心配するのだけれど、一ヵ月後の検診の時には、さらに右目がクリアに見えるようになってるからまったく心配しないでいい。

うーむ。パリティ対称性の破れという現象を知った時はもの凄く興奮したのに、今、自分の目の左右対称性が破れていることを体験できてもちっとも興奮しない。でも、気になって見え方を確認してみて、はっきりとした差が体感できないと、逆にそれはそれでなんだかつまらない。

ていうか、両方とも 1.0 以上見えてるんだから、どうでもよすぎ。


つづき: LASIK 後一ヶ月検診