2009年5月3日日曜日

にげるが かち

にほんが たちなおれるか どうかは ぼくには よく わからない。

わたなべちかの れいの エントリ を よんで、「でも、アメリカ だって、アメリカ だって、アメリカ だって、アメリカ だって」みたいな はんのうを している ようちな ひとたちに いいたいことも とくに ない。 

でも、にほんは とても すみにくい しゃかい だと ぼくは おもっていたし、いまも おもっているので、そう おもう ひとたちや かんじている ひとたちは、せっきょくてきに ガイコクに にげてみる ことを すすめたい。

うんよく にほんで うまれたの だから、てんしょくする くらいの きがるさで、きがるに ガイコク ぐらしを してみると いいと おもう。ただの ひっこし よりかは しきいが たかいかも しれない けれど、いちど やってみたら、そのくらいの しきいしか ないことが わかる。いなか から とかいに ひっこした ひとなら わかると おもうけれど、おなじくらいの はなしだと おもう。

さて、にほんが すみにくいと ぼくが おもっている りゆうは いろいろ あるけれど、じじと あわせて ひとつ かくと、ぼくは にほんの ことを、「やられたら やられぞん」の しゃかい だと おもっている ことが ある。ぼくは にほんの ことを、なきねいりが あたりまえの ことと されている しゃかいだと おもっている。

きそ されたら ほぼ ゆうざい だし、じょうきょうしょうこが あれば しけい だし、たいほ されて いきなり かたく そうさで ぜんぶ もっていかれて しょうこいんめつの やりようが なくても つみを みとめない かぎり なんかげつも こうち されたり するし、かりに さいばんしょ で たたかって かっても、なんねんも やって すうじゅうまんえんとか まったく わりに あわないし、あいては べつに いたくも かゆくも ないし、さらには ひろゆき みたいな あいて だと いくら いっても いちえんも はらわないし。わ。

イジメに あっても いじめられてる ほうにも げんいんが ある とか いわれるし、しごと がえりに ひがいに あっても そんな じかんに そんな ところを あるいていた ほうにも もんだいが あった てきな ことを しゃせつに かかれたりするし、りゆうも いえない りゆうで すべての しごとを ほされた あげく なにに ついて しゃざい しているのかも いえずに ないて しゃざいかいけん させられたり。

そもそも さいばんざた なんて ことばも あるくらい だし、じぶんの せいぎの ために あらそっても あらそってる こと じたいが さも わるいことで あるかのように みなされるし、なんの たたかい だろうと かかわらない ほうが ぜったいに とくだ ってのが にほんでは もっとも プラクティカルな こと だと おもうし。

ほんと、どうしろ っていうの。これじゃ、とくめい で ひっそり いきる いがい、やりよう ないじゃん。ゎ。

って、だから みんな とくめい でしか なにかを かけない わけ だけれどさ。いいがかりとか きちがいたちの リンチに なきねいりする ひつようが ないと しんじられる なら、とくめいで かく りゆうは せきにんの ほうきと こくはつ だけ だよね :p

まあ、それは ともかく。

いやだと おもってたら、がまんして にほんで くらす ひつようは ないと おもう。

いろいろと じじょうも あるだろうし、もちろん、だれでもが ガイコクに たかとびできる わけじゃ ないだろう けれど、できる ひとは してみると いいと おもう。そとから みて はじめて よく みえる という ことも とうぜん おおいし、にほんを よく したいと おもっている パトリオットにも、おもってない ヒコクミンにも おすすめ。

あと、これは だそく だけれど、もっとも じゅうような ポイントとして、ガイコクへの とうぼうは じょせいには とくに おすすめだ。とくに ざんねんながら びぼうに めぐまれなかった ひとや、わかさ という にほんで もっとも じゅうし されている ぶきを うしなった じょせいは、にほんなんて さっさと すてたほうが いいと おもう。わ。

うれのこりの じょせいは、たとえば アメリカに きて、だいがく 1ねん から すべて やりなおす という ことが よゆうで できるし、みためも こどもに しか みえないし、どうせ ケトウには にほんてきに ぶさいくか どうかは ぜんぜん わからないし、すいじせんたくの しんぱいとか しなくても いいし。わ。

まあ、にげる なんて ひきょうだ、と おもう きこつ ある だんしたちは おくにの ために がんがって くれれば いいけれど、じぶんの こと よりも しゃかいの ことを ゆうせんする やつ(わかもの と せいじか を のぞく)の いう こと は、ぼくは しんよう できない。しゃかいの ため ではなく、じぶんの ために こそ、「にげる なんて とんでもない。アメリカ なんて さいていだ。わたなべちか なんて しねば いいのに」って いってる ひと たち の いう ことは わからないでも ない。しねば いいけど。わ

2009年4月28日火曜日

かな漢字変換 は かなかんじせんたく


ひとつまえの エントリ では、なにゆえ ひらがなせいかつを すすめているのか わからないと、なんにんかの ゆうじんや ちじんから いわれたけれど、かいてないので それは とうぜん。ながくなるから、また あとで かくと かいた。かいたけど、なかなか かけずに ごめんなさい。

じつは、ぼくの なかでも けつろんが かんぜんに でている という わけでは ないし、また、すぐに でるとも おもえないので、いまも、なぜ そんなことを するのかと、じもんじとう しつづけて いたりします、はい。わ。

かんじを すてることの へいがいは、ぼくでも いろいろと おもいつくし、かんじを すてる ことは まちがっていると ちょっかんする ひとや、せきずいはんしゃてきに はんろんする ひとは、そのあたりは とくに いろいろと おもいつくの だろう。まあ、ぼくが おもいつく レベルの もんだいてんは、あとで はんろんを かいていこうと おもうけれど、そうてい される はんたい いけん への はんろんの まえに、まず、ひらがなせいかつの ぼくなりの motive を すこし ずつ かいていきます。

まず、だいいちの どうきは、ただしい かんじに へんかん するのが、いいかげん しぬほど めんどうくさい、ということ です。わわ。

あたりまえに やっている みなさんは、しぬほど めんどうなことを しているとは きづいてないかも しれないけれど、へんかんこうほ から ただしい かんじを せんたく しながら かいてるのは まちがい ありません。カナかんじへんかん きのうが ひょうじする こうほ から、まいかい せんたく してるのです。いみを つたえるために つかう ことばを えらぶのみ ならず、ただしく あてはまる かんじをも せんたく しないと いけない。

かんじを つかっている へいがいだと おもうけれど、にほんごには どうおんいぎごが おおすぎるので、どの かんじが ただしい かんじ なのか しらべながら かく わけ ですが、これは めんどうくさいと おもうし、わざわざ くろう するために かんじを つかっていると しか おもえない。じぎゃく だいすきの にほんじんには とても あっている、と いわれると なっとく しそう だけれど。ゎ。

いまだに、ただ タイプ したら、じどうてきに ぜんぶ ただしい かんじに へんかんされる わけではない なんて、ほんとうに ばかばかしいけれど、それが できるなら、へんかんキー なんてものは いらない。よそくへんかんと よばれる べんりな きのうも あるけれど、あれでも けっきょくは せんたく しないと いけない。

ていうか、せんたく なんていう、めんどうくさい ことは したくないの です、ぼくは。そもそも、それが ただしい かんじか どうか なんて、どのくらい いみが ある ことなのか。

つまり、いくら カナかんじへんかん きのうが しんか しても、いまだに かんぜんには けいたいそかいせきも できないのだし、こんな どりょくは じつは どうでも よすぎるんじゃないか、と ぎねんを もちはじめた わけです。

もんだいを どりょくして かいけつするのは たいせつな ことだし、そのために けいさんきを うまく つかうべき なのだろう けれど、ほんとうに、それに あたいする ような もんだい なの だろうか。われわれは もじを はつめいする ずっと まえから、おとを つかって communicate している のだから、ほんとうは、すべて ひょうおん もじで かけば いいだけ なんじゃ ないの だろうか。

おとで かいたら、わかちがきする ひつようが でてくる けれど、そうする ほうが はるかに かんたん なのでは ないだろうか。わかちがきは どこで するか という もんだいが あるけれど、これは むかしの ラテンごも そうだったし、いまの かんこくごが そうである ように、じょじょに かいけつ できると おもう。おうべいごで あたりまえの ように つかわれている わかちがきは ひつようから はつめい された ひょうきほうほうで あって、ちゅうせい いこうに ふきゅうした らしい。にほんご では 21せいき の しょとうから じょじょに ふきゅう した、という ことに してみたら どうだろうか。

すべて ひらがなで わかちがき されて いたら、たとえば NLP の ひとは、にほんご Grammer Checker とか Spell Checker とかの けんきゅうに もっと ちゅうりょく できるのでは ないだろうか。って、これは ひらがなで なくとも いいね。わかちがき されてれば。

まあ、わかちがき なんて めんどうだ、という ひとも いるだろうが、すくく (SKK) を つかって ひらがな だけで かけば、わかちがきは まったく めんどうじゃない。へんかんして せんたくする よりも、はるかに かんたん なのは あたりまえ。

すんげー よみにくいって よく いわれる けれど、ただの なれ だと おもうし、ラッダイトの いうことを いちいち きいて られないし、ひらがな だけで かいても ぼくが かいている ないようは なんの かわりも ないので、わかろうと おもうなら、よめばいいし、わかりたくなければ よまなければ いい だけの ことだと おもう。わかりたくない けれど、しかたなく communicate する ひつようが できちゃった ひとは、ひとこと "English, please" って いってください。いじわるで ひらがなぶんを かいてる わけでは ないけれど、あいての ために ぼくも あゆみ よる よういは あります。

ひらがなぶん も English も いやだ、どうしても かなかんじまじりぶんで かいてくれ、という ひとは、えーと、ごめんなさい。ほかを あたって ください。orz

うーん、まだ、りゆう ひとつめ なのに、かなり ながい ねえ。。。って、ひらがな だけ だから だろうか。ゎゎ。

2009年4月18日土曜日

ひらがなせいかつ への いざない


いちぶの ゆうじんたちは よく しっていると おもうけれど、ここの ところ、ぼくは かんじを いっさい つかわずに せいかつする という じっけんを してみている。

で、やってみたら、おもっていた よりも やれそうな きが してきて だいぶ じしんが ついたので、とうとう ここに せんげん することに します。

「ひらがなせいかつ」を すいしんする (もしくは うざいことするなあ、しねばいいのに、なんてことを いちいち おもわないと きがすまない ひとたちの きもちを さかなで することなど、そもそも いっさい いに かいさずに、ほろびゆく ちほう げんごである にほんごの、せんねんごを ほんきで うれう、もしくは うれう ふりをする) プログラムに  さんか しませんか。

かけも よめも しない かんじ なんて、がくしゃに まかせて、こどもたちでも かんたんに よめる ひらがなで、もっと わかりやすく かくように しませんか。

この うんどうに さんかしたい ひとは、どうぞ かってに さんか してください。ばかだと おもうひとは、ばとうするなり むしするなり、おすきに どうぞ。

ちなみに、このうんどうは はじめた とうしょから かなりの かくどを もって、これは つづけたいと おもえて いたのだけれど、すぐに せんげんする ゆうきが もてなかった りゆうは いくつか あって、その ひとつは、いちぶの しようが あまくて、かくしんが もてない ぶぶんが あった、というものが あります。たとえば、カタカナや アラビアすうじや アルファベットの しようは ゆるすのか いなか という ぎろんが (ぼくのなかで) ありました。これは、また あとで かきます。

また、げんじょうでは ひらがな だけの ぶんしょが すくなすぎるため、けんさく エンジンが うまく あつかえないだろう という もんだいも あります。この エントリが けんさくされて よまれる かくりつは とても ひくいだろうから、けんさく されないところに いけんを かくのは もったいないと おもってる ぼくとしては、とても もったいないな という おもいは ある。

この うんどうの ほんとうの いぎが いつか りかいされて しゃかいが そういうほうこうに いく かくりつは、かがくよりも じょうちょを ゆうせんする という にほんらしさから かんがえて、ゼロ もしくは ゼロ くらいかと おもってるので、けんさく エンジンが うまく あつかえるように しんかする ことも ほとんど なさそう。(しかたないので、いわゆる 20% プロジェクトで やろうかな。うそ)

ちなみに、ひらがな しか かかないように していると、にほんごの サイトを けんさく するのは とても むずかしいのだけれど、さいわい にほんの グーグルの サイトに いけば、アルファベットだけ タイプしていても かんじへの へんかんを してくれるので、ほとんど せいかつに ししょうは ないし、そもそも にほんごの ぶんしょを けんさくする ひつようは あんまり ないので、だいじょうぶ。

あと、ひらがなに すると、ひつぜんてきに わかちがき しないと いけない わけ だけれど、わかちがきに かんしては、日本語を わかちがきする会 というのが あるみたいなので、そこの ほうしきに したがっていけば いいかな。まあ、たんご たんい ではなく、ぶんせつたんいの ほうが よみやすいね。えいごでも、あさごはんを break fast と わかちがきは しないし、after noon とも かかないし、むりに ChaSen/MeCab ごかんに する ひつようは ぜんぜん ないだろうと おもう。

ほかにも (いまは) かけない りゆうが あるけれど、それはそれ。わ

ちなみに、よみにくく なるだけ なのに、なぜ こんな わけのわからないことを するのかというのは、ながくなるので、また かきます。わ。

あ、ぶんまつの わ というのは w つまり (笑) という いみですので おぼえておいて ください。あと、これは ドラフト だけど ゎ は (苦笑) という いみ です。ゎ

2009年2月15日日曜日

サルモネラとマリファナ


老婆に教えてもらって知ったのだけれど、ピーナッツバターにサルモネラ菌が入っていて何人も死んじゃって関連製品が軒並みリコールされるという、全米の一部を震撼させる事態が発生している。

本当に美味しいピーナッツバターというものがない極東の国の人々には想像もつかないことだろうが、PB&J という素晴らしく美味しいジャンクフードを子どものランチにもたせられなくなってどうしてくれるんだと全米のマミーが激怒しているし、セロリにピーナッツバターをつけて食べるのが好きなぼくにとっても、これはかなりの痛手だ。

この事件、じつは単なる事故ではなくて、工場の検査で過去にサルモネラが十回以上も見つかってるのに、そしらぬ顔で出荷していたことが発覚していて、ぼくは「どこの日本の話か」と思ったが、どうやらアメリカ人たちは「どこの中国の話か」と思っているらしい。まあ、アメリカでは、日本の偽装ブームの話はほとんど知られていないだろうから、当然か。

さて、日本だったら、とりあえず謝罪会見で社長以下三人が深々と頭をさげてフラッシュがたかれるという私刑がお約束だけれど、アメリカの場合は謝るとかそういうのはべつにどうでもいいので、謝罪会見というのはない。

そのかわり、公聴会やら裁判がつぎのニュースになって、最終的には実刑をくらって、みんな忘れる。というわけで、ニュースをてきとうにみてたら、あったあった。




なにが傑作って、問題の PCA って会社の社長のセリフが素晴らしい。

Mr. Chairman and members of the committee, on the advice of my counsel, I respectfully decline to answer your question based on the protection afforded to me under the United States Constitution.

慇懃に「黙秘権を行使します」って、なにを聞かれてもオーム返しのようにこれしか言わない。ぜんぜん悪びれない。反省のいろなんてこれっぽっちもない。「何を聞いてもすべて黙秘ですか」「はい」って。やじとかもなくて、たんたんと。アメリカちっくで素晴らしすぎる。

いざという時のために、このセリフはよどみなく言えるように練習しておきたい。

さて、アメリカらしいと言えば、以下の動画もかなりアメリカを感じさせてくれるのでおすすめだ。




要するに、ピーナッツの中にはドブネズミとかゴキブリもいたっていう、元従業員の衝撃的証言なんだけれど、内容に関しては極東の村国が何年も前に実現している程度の話なのでそれほど驚くに値しないかも知れないけれど、顔をだして声もそのままで証言というのは流石にアメリカンクオリティかな、と思う。しかも、全力で南部黒人なまりなので、字幕がなかったら何を言っているのか見当もつかない。ほんと、なんど聞いても、ぜんぜん分からない。

ちなみに、PCA のピーナッツバターを使っていて製品がリコールになっている会社はたくさんあるわけだが、そのひとつに、日本でも知られているケロッグ社がある。ここの話が最高にアメリカらしいので紹介したい。

というのも、ケロッグ社は最近、マリファナを吸ったことがバレて謹慎をくらっている五輪水泳の金メダリスト、マイケル・フェルプスをケロッグのシリアルの広告キャラクターからはずしたと発表したのだけれど、それについての抗議が殺到。ケロッグ社に対する電話相談窓口では、リコール対象の商品に関する質問の何倍も、マイケル・フェルプス外しへの抗議が多くて、不買活動にまで発展しているという。ぜひ Kellogg Customers More Concerned With Phelps Than Tainted Peanut Butter という記事を読んでみましょう。

まあ、オバマ大統領だって若いころには吸ったことがあるって告白してるくらいだしね。「サルモネラでリコールなんて、どうでもいいんだ。マリファナを吸ったくらいで犯罪者扱いするんじゃねえ!!!」というのがアメリカの声らしい。前半はともかく、後半はぼくも同意。

2009年2月10日火曜日

寒空の下でめしを食べる愉しみ

以前は、どちらかというと外で食事をすると言うのは好きではなかった。外でというのは、カフェなどの軒先でという意味であって、外食ということではなく。

風のまったくない快晴の気持ちいい日はともかく、ちょっと風があったり、肌寒かったりしたら、外で食べたい理由はまったく分からなかった。というか、いまでも分からない。

でも、アメリカ人は外で食べることが好きなようだ。外で食べている人は多いし、友人と飯に行くと、積極的に外で食べようとするので、外で食べることにとても慣れた。

最近の東京では、外にもテーブルが置いてあるような欧米かぶれのカフェやレストランも増えたと思われるので、昔と比べればだいぶ一般的になったのだろうと思うけれど、それでも外で食べる方が好きだというひとはきっと少ないのだろうと想像している。そういう人から見れば、ぼく程度の人でも、たぶん積極的に外で食べようとする人に見えるんだろうと思う。そんなことはないんだけれど。

さて、今日は社内で一番新しい、人気の Big Table というカフェにランチに行った。社内のカフェが Yelp に載っているというのも凄い話だけれど、それはそれ。で、人気がありすぎていつも混雑しているのだけれど、今日は 9人の大所帯だったものだから、席がまったく見つけられずに右往左往した。

が、ほどなく空いてるテーブルを誰かが発見。みんなでそそくさと移動。当然のように、そこは外。

気温はたぶん、摂氏で 10度弱とかだったろうけれど、風がとても冷たくて、体感気温は 5度とか、そんな感じでしたかね。風邪どころか、肺炎になるっつの。いや、正真正銘の肺炎だっつの。

風を避けて建物よりの席に陣取ったもんだから、思いっきり日陰だったし、それでも、風はやっぱり感じるし、これは一体なんの我慢大会なのかと思うくらいに寒かった。

まったく、ガイジンどもは仕方ないなと、やおら、ぼくはフリースジャケットのジッパーを首までぜんりょくで締めて、熱いお茶をたくさん注いで戦かったけれど、循環器系が弱いとみえる女子の何人かはぜんりょくで革ジャンのジッパーを首まであげつつそれでもかなり寒そうにしていた。ひとりは、食事中も片手をポケットから出すことすらしないでいたくらい。

しかし、ひとりはなんと半袖の Tシャツというのもいたから、本当に笑えて仕方なかった。こいつ、どんな丈夫な小学生かと思ったけれど、よくみたら、二の腕に鳥肌立ちまくってる。でも、ぜんぜん、平気。しかも、いわゆる天才プログラマですごい仕組みをがんがん作って世界中の人を幸せにしている有名人。もうね(ry

まあ、そういうわけで、このパーティで吹雪のエルカピタンの絶壁にビバークしたら、最初に死ぬのは、やっぱり日本人のぼくなのかなあ、いや、寒がってる女子たちの方がだいぶ寒そうにしているから、ぼくはなんとか最下位にはならずに済そうだな、なんとか生き延びて、日本人もやれるってことを世に知らしめなくては、なんて思いながらランチを楽しんだ。

で、部屋に戻ってから、「さっきは、まじ、寒かったねえ」と言ったら、「寒かったねぇ」って、みんな言う。みんな、これは寒いって思ってるのに、同時に、まあ、いっか、とも思ってる。ぼくもそう思ってたんだけれど。抗生物質も飲んでるし、これくらいで肺炎こじらせて死ぬこたないだろ、と。

この感覚は、たぶん、日本の人には非常に分かりにくいと思うのだけれど、ポイントはこう。みんなでめし食ってるからといって、我慢の限界まで我慢しなくてもいい。寒くて死ぬなら、「ごめん、おれ、肺炎だから、中でめし食ってくるんだぜ」って言ってさっさと離脱すればいいだけの話。そこに躊躇とかそんなにいらない。さっさと撤退しても、寒がり日本人め、だから首相は漢字が読めないんだぜ、なんて誰も思わない。だれもなにも押し付けてないし、押し付けられてない。だから、みんなが、まあこのくらいなら我慢できるな、というところで勝手に我慢して均衡が保たれている。

というわけで、死ぬほど寒いのに外でランチを食いながら、これはレポートしておくかな、って思った。おすすめ。ないけどww

2008年10月3日金曜日

日本の少子化問題に関して


ひさしぶりに日本に長期滞在していて、毎日いろいろなことを考えるわけだけれど、実家で風呂にゆったりとつかりながら考えたことは、やはり日本の風呂はいいなあ、ということではなかった。

それは、日本の風呂こそが日本少子化の大きな原因に違いない、ということだった。

日本人は、グローバルウォーミングの心配の前に、Yossi Vardi が警告しているローカルウォーミングの心配をした方がいい。

子孫繁栄のためには、実はラップトップは大きな問題なのだけれど、風呂はもっと問題なのだ。

ラップトップは間接的に精巣の温暖化を進めるが、風呂のお湯は直接的に温暖化を進める。人間の精巣は、冷却するためのフィンがついていることでも分かるように温度を上げてはいけないのだが、日本人は風呂にゆっくりとつかることによって、どんどん生殖能力を減退させているわけだ。

Yossi Vardi のローカルウォーミングに関する講演を観てない人は、いますぐ観た方がいい。ちょっとイスラエル訛りがキツいけれど、よく聞けば分かる。ぜんぜん分からない人は、これくらいの英語は聞き取らないとインド人と仕事などできないと思って、ヒアリングの練習をするべし。


日本人に告ぐ。若い男は、風呂につかってはいけない。 若い女は、毎日風呂につかるような綺麗好きな男と結婚してはいけない。

2008年1月4日金曜日

七人で作るおせち

どうせ御節とかお雑煮などのまともな正月料理が食えてないんだろうと、辺境で暮らす我々に冷めた笑みをたたえることで、なんとかご自身の不遇に耐え忍ばれておられる皆様におかれましては、健やかに新年を迎えられたこととお喜び申しあげます。

しかしながら、まことに唐突で申し上げにくい次第ではございますが、三が日も明けましたゆえ、以下の通り、報告させて頂きたく存じます。

今年の正月は、うちの細君の友人が、「おせちポットラックをしよう」などという破廉恥な提案をしてしまいました。一人が一品もしくは二品だけを大量に作って持ち寄り、みなでそれを分け合おうというわけです。なんという手抜き。許せません。

そして、それに賛同した七人の奥様が、自分の担当だけを本気で作るという手抜きをした結果、まことに遺憾ではございますが、我が家の今年度のおせち料理は以下の写真のようなものとなってしまいました。昨年末は三十日まで San Diego の友人の友人宅にて遊びほうけていたというのに、でございます。



既製品はいっさいなし。どの料理もあまりに本気で美味すぎて、心から遺憾です。

そういうわけで、添加物まみれの高級おせち料理を堪能された皆様、今年もよろしくお願い申し上げます。

なお、蛇足ですが、重箱の手前にお雑煮が二種類あるのは、名古屋と大阪の戦いでして、戦いを好まぬうちの細君は、つい両方とも作ってしまうという暴挙に出てしまうわけですが、これは我が家の正月の風物詩となっておりますこと、ご了承いただければ幸いに存じます。