2006年11月19日日曜日

選択の自由という不幸


アメリカに来たばかりの頃、パンの種類やドレッシングの種類をいちいち聞かれて辟易したのは、早口の店員に聞かれていることが分からなくてドギマギ したということもあるけれど、それ以上に、そもそもどういう選択肢があるのかさっぱり分かっていなかったというのもあるし、もっと言っちゃえば、そんな選択肢があるということに頭にきていたわけだ。

ある時は、聞かれてることがよく分からずにまごまごしていると、さっさと Yes って言えよって雰囲気になってしまったので困って Yes って答えてみたら、マヨもマスタードもついてないターキーサンドイッチが出てきてびっくりしたこともあった。アメリカのメシが不味いという噂は本当だなあ、日本ではこんな不味いサンドイッチは存在すらできないだろうなあ、と思ったのだった。

つまり、いちいち選択するのは面倒くさいし、選択肢が多いことは必ずしもいいとは限らない。サンドイッチなんて、いちいち選びたくないし、ハムサンドって言ったら、ハムサンドが出てくればいいわけだ。

昔はそう思っていた。

しかし、選択を強要される環境にならされすぎて久しいと、逆に日本に帰ったときに「あまりにも注文の多すぎる客」になり果ててしまっていて、なんて不便なんだろうって思ったりする。ハムサンドってひとことで片付けられても困るっつーの。ハムにもいろいろあるだろう、みたいな。慣れってのは怖い。

逆に、日本から来たばかりのころ、アメリカの電気屋の、そのあまりの選択肢のなさと製品のレベルの低さには辟易した。

ある時、当時の最新の、ほとんどテープと大きさの変わらない小ささのウォークマンを買おうと、たしか 400ドルくらい現金をもって Circuit City にいったのだけれど、店には三つくらいの選択肢しかなくて啞然とさせられた。そして、そのすべてが 50ドルくらいの安さでびっくりしたけれど、それ以上に、日本で言えば 10 年くらい前のモデルしかなくて、いくら安くてもそんなバカデカい古くさいウォークマンをわざわざ買う馬鹿がいるかと憤慨して帰った。結局、ウォークマンは渡米前の女房に日本から送ってもらった。

しかし、あれから九年ちょっと経ってみても大して進歩してないアメリカの電化製品市場に対して、なぜかとくに文句もなくなった。多くのものはネットで買えるようになったというのもあるし、電化製品は日本人が作ってるんだから日本みたいにいいものが買えないのは仕方ないとも思うし、べつにそれでそんなに困ることもないじゃん、くらいにしか思わなくなった。

まあ、年を取ったというのもあるだろうけれど、やっぱり、慣れなんだろうと思う。

ひっきりなしに新発売のコマーシャルを見せられている日本人は、なにか新製品を買ってないと幸せになれない感がつきまとうと思うが、そういうコマーシャルもなければ、そもそも新発売すらしてない国においては、そういう物欲が刺激されることもほとんどない。

都会のど真ん中で生活している極一部の人を除けば、アメリカにはスローライフしか存在しない。

というわけで、前振りが長過ぎるけれど、ある教授の Google での講演を、秋の夜長の暇つぶしにどうぞ。